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生物多様性コラム

深海の多様性、技術と詩情

ドゥーグル・リンズィー
海洋生物学者、(独)海洋研究開発機構(JAMSTEC)技術研究副主幹

深海は地球の最後のフロンティアです。地球に生息する多細胞生物にとって、深海は最も膨大で利用可能な生息域です。地球の表面の70%が海洋であり、200m以上の深海域に海洋の総容量の90%以上があるということを考えれば、「私たちは地球最大の生息地についてほとんど知らない」と言えるのではないでしょうか。

 

the Milky Way!

an unmanned probe deployed

into the sea

 

Lindsay_photo.jpg

天の川無人探査機着水す

ama-no gawa mujintansaki chakusui su

 

a shooting star…

the ocean floor to far below

to drop anchor

 

流星や錨届かぬ海の底

ryuusei-ya ikari todokanu umi-no soko

 

深海には独自の問題-現状では海底よりも銀河系についての調査が進んでいるという問題-があります。米国における海洋研究の国家予算は宇宙研究にかかる予算の4分の1程度でしかありません。日本においては5分の1にも満たないのです。しかし、海洋において未調査の場所が多いのは予算規模だけが問題だというわけでもありません。地球の大気圏外への探査では、宇宙の真空空間に対応しなければなりませんが、これはひとつの大気圧との差でしかありません。一方、海洋における平均深度はおよそ4000mですが、このことは大気圏との気圧差が400にも及ぶことを意味しているのです。地球の最深部、マリアナ海溝のチャレンジャー海淵の底では、気圧差は1080以上になるのです!こうした深度に生息する生物の多様性を調査するには特殊なツールが必要です。

 

the Shinkai submersible -

swallowed up and on its way

to the Underworld

 

「しんかい」や涅槃の浪に呑まれけり

shinkai-ya nehan-no nami-ni nomare keri

 

遠隔操作の有索無人探査機(ROVs)や自立型無人探査機のような無人プローブや有人潜水調査船によって、人類が深海の生物を直接観測したり、映像を録画することが可能になりました。こうした生物の多くは、深海魚に見られる適応として、地獄に生まれたような長い牙を持ち、体を光らせ、奇妙な目をして、伸縮自在の胃を持ったりしています。温水や毒ガスを周辺の水塊に噴出する熱水噴出孔付近に生息する海洋動物-目を持たないカニやエビ、真っ赤な鰓を持つ巨大なチューブワーム、大きな二枚貝などがその例です。こうした海洋動物は、熱水噴出口から出る硫化水素やメタンなど毒性ガスのある場所でよく育ち、そうした毒性ガスはこうした動物たちの内部にいる共生バクテリアに取り込まれ、バクテリアはガスを宿主にとっての食糧に変換しています。しかし深海動物の大半は、暗闇に静かに浮遊し次の食事を待つ捕食者であり、太陽光の届く表層部から海洋の深部へと降るマリン・スノーと呼ばれる有機物質を常食とするデトリタス食者なのです。

 

through Picasso's blue

and on the other side a crimson

sea slug swims

 

ピカソの青過ぎて深紅のユメナマコ

pikaso-no ao sugite shinku-no yumenamako

 

おそらくこうした浮遊性の捕食者のなかで最も成功しているのは、カリスマ的な硬骨魚ではなく、むしろ半透明のクラゲです。有人潜水艇で私が初めて深海調査をしたとき、驚きをもってのぞき窓の前を横切る多様なクラゲを見ました。クラゲの水っぽい体は、作り出し維持するのに多くのエネルギーを必要とする鱗や筋肉が少なく、波や乱流がなければ偶然によって生息地に戻されることはほとんどありません。

 

all dried out

the height of these jellyfish...

A-Bomb Day

 

Apolemia-fuzzy.jpg乾ききし水母の嵩や広島忌

kawaki kishi kurage-no kasa-ya hiroshimaki

 

体の95%以上が水であれば、少ない有機物質で体を大きくする、又は体を長く伸ばすことができます。地球で最長の動物はシロナガスクジラではなく、体長が40m以上にも及ぶクダクラゲと呼ばれる群体性のクラゲなのです。夜の闇に身を隠し、深海から表層に向かうオキアミや魚にとっては、数百の胃を持ち、そのそれぞれが触手を持つこうしたクラゲのコロニーはまさに死のカーテンとなります。十分な食事を終えたオキアミや深海魚が夜明け前に深海に戻ろうとしている時に、クラゲはもう一度彼等を食べるのです。損傷を受けてもクラゲは驚くべき能力を持って再生するので、こうした巨大なコロニーには数百歳にまでなるものもあります。

 

picking up a jellyfish...

my lifeline

clear and deep

 

掬う掌のくらげや生命線ふかく

sukuu te-no kurage-ya seimeisen fukaku

 

外洋に棲息する浮遊生物-プランクトンの採集にはしばしば絹やナイロンのネットが使われます。日本の沖合で深度1000mまでプランクトンネットを下ろし、曳網することによって50種以上のクラゲがとらえられる可能性があります。同様のネットは、カイアシ類、端脚類、介型類、オキアミ等、250種に及ぶ小さな甲殻類、さらには被嚢類であるサルパ(各端に開口部を持つ透明な体をした漂流型の微小海洋被嚢類、ホヤの仲間、ゼラチン質の動物プランクトン)、ウミタル、オタマボヤ、ヒカリボヤ(漂泳性の被嚢類に属し、オタマジャクシ幼生を持たず、大きな管状の群体を作る)やヤムシ(25種以上)、多毛類、オヨギヒモムシ類等もとらえてしまいます。こうした生物多様性のすべてが植物、岩、泥、砂などシェルターとなる場所を持たない環境の中でいかにして共生できるのかということは、「プランクトンのパラドックス」といわれ、いまだ解明されていません。このパラドックスの解明によって、熱帯雨林、サバンナ、砂漠、ツンドラ地帯など他の生態系において多様性が形成され維持されるメカニズムの解明が進むことが期待されています。

 

深海に棲息する動物の多くはあまりにもろく、ネットで採取することができません。ゼラチン質生物は心太のように網目に濾されてしまうからです。クシクラゲや有櫛動物はそうした群に属しています。クラゲという名ではありますが、こうした有櫛動物は、真性のクラゲとも言える刺胞動物が餌をとらえるときに用いる刺胞と呼ばれる毒性の銛を持っていません。こうした有櫛動物は、粘着細胞と呼ばれるハエ捕り紙のような「ねばねばした細胞」を使って餌をとらえ、昔の長艇(長い漕ぎ船)のように、オールで漕ぐように、体を走る8列の繊毛をうねらせて泳ぎます。有櫛動物の体の98%は水分で、運よく研究用にひとつでもとらえることができた場合でも、たちまちのうちに体を崩壊させて死んでしまうので、有櫛動物種の多くはアルコールやホルマリンのような化学固定液に浸してオリジナルの状態で保存するということができません。

 

shadows, jellyfish,

clouds, and Me as well

pass by -- this beach

 

影・クラゲ・雲・この俺も去り行く濱

kage, kurage, kumo, kono ore-mo sari yuku hama

 

looking up

the shadow of a jellyfish

the wake of my child

 

rhb-BW-2-2-Eurhamphaea-vexilligera-DSC_0172.JPG見上げれば水母の影と吾子の水脈

miagereba kurage-no kage-to ako-no mio

 

有櫛動物を研究するには、現地での動物の行動を観測する潜水艇やロボット・プローブを利用するのが最善の方法です。オキアミなどの甲殻類を捕食する様子や、他のクラゲを食べる様子が観測できるばかりでなく、有櫛動物の外表面や内部で生息する小さな生き物の様子も観測することができます。熱帯雨林の木々が多くの虫に適正な生息地を提供するように、深海ではクラゲが同様の役割を果たしているのです。熱帯雨林では、ある種の木の葉に棲息し葉を食べる虫もいれば、樹皮の間や根の中に棲むものもいます。一桶のクラゲの傘の外側に甲殻類の仲間が付着し、またクラゲの口の近くに体を埋めるようにして生物が棲息している様子を見たことがあります。マリン・スノーもまた、ある種の生物に周辺の水塊から分離された生息地を提供しています。現代の調査技術によってこうした生物の関連性を観測することが可能になり、プランクトンのパラドックス解明に一歩近づくことができました。

 

現地におけるホログラフィーの開発と応用によって、ロボットによる24-48時間に及ぶ動物の自立観測や、電子タグによる小動物の監視、データ・ロガーによるその捕食動物の監視が少しずつ可能となってくることでしょう。近いうちに多くの新技術によって、海洋を研究し、この地球最大の生態系についての我々の知見を、陸生生態系についての知見と同じレベルにまで高め、一時的な救済ではなく効果的に管理できるようになる日が来るかもしれません。

 

out on the sea

coming back we meet again -

my shadow!

 

海へ出て戻れば影に再会す

umi-e dete modoreba kage-ni saikai su

 

*写真上から

1.深海現場調査用実体顕微鏡で撮影した深海生物の顕微鏡写真

2.クダクラゲ

3.アカダマクラゲ(rhb-BW-2-2-Eurhamphaea-vexilligera-DSC_0172)

 

 

 ドゥーグル・リンズィー氏プロフィール

 

1971年生まれ。(独)海洋研究開発機構(JAMSTEC)技術研究副主幹、横浜市立大学及び北里大学客員准教授を務める。水中の生態系、とりわけゼラチン質の生物を研究分野とし、有人潜水潜水調査船や無人探査機などで深海生物を研究。

「深海生物追跡ロボットシステムPICASSO」開発チームリーダー。全海洋生物センサス(Census of Marine Life)の日本支部委員及び全海洋動物プランクトンセンサス(CMarZ)の国際委員を務めた。

俳人としても著名で、日本語で俳句の創作を行っている。第一句集『むつごろう』で第7回中新田俳句大賞受賞。米国出版「国際俳句歳時記」(ウィリアム・J・ヒギンソン)や「世界の俳句。15名の優れた俳人」、カナダ・フランス語出版「国境無き俳句」などで俳句紹介。

 

 

 

 

 

 

 

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