English

生物多様性コラム

生物多様性を考えるー生命誌の視点から

中村桂子
JT生命誌研究館 館長

1.生物多様性とはなにか

 

生命誌絵巻1.jpg

 生命誌の視点をおわかりいただくために最初に図を示します(図1)。「生命誌絵巻」と名づけたものです。扇の縁にはさまざまな生きものが描いてあります。見ていただくとバクテリア、ミドリムシなどの原生生物、キノコ類、コケやシダ、ヒマワリなどの植物、イモリ、イルカ、カワセミ、ゴリラなどの動物たちとその多様さに気づかれるでしょう。地球上の生きものは数千万種とも言われます。現代生物学はこの多様な生きものたちのすべてが細胞でできていること、細胞内には必ずDNAが入っていることを示しました。しかもDNAのはたらき方の基本はあらゆる生物で共通なのです。そこで、全生物は共通の祖先、つまり一つの細胞から生まれた仲間であると考えられています。最初の細胞がいつどこで生まれたかはまだわかっていませんが、恐らく三八億年ほど前に海の中で生まれたであろうとされています。現在も深海には新しい生命誕生を期待させる条件の場があることが知られていますので、今後生命の起原の研究が進むでしょう。

 

 それはともかく、この図が示していることは地球上の生物はすべて三八億年という歴史を体の中に持っているということです。幸い、近年ゲノム(細胞内にあるDNAのすべて)が解析され、その中に各生物が持っている歴史が書き込まれていることがわかってきましたので、ゲノムを比較することでさまざまな生物の関係と歴史、つまり生命誌(Biohistory)を知ることができるようになりました。私たちは今、チョウやクモやハチなど小さな生きものを用いて研究を進めていますが、今眼の前にいる生きものは三八億年という歴史がなければここには存在しないのだと思うと、どんな小さな生きものにも生命の重みを感じます。

 

 通常生きものの世界を考える時には、得てしてバクテリアのような簡単な生きものを下に、人間を上に置いてしまいますが、そうではありません。絵巻にあるように、どの生きものもまったく同じ時間があっての存在であり、上下関係はありません。絵巻を見てわかっていただきたい大切なことは、人間が生きものの一つとしてこの中にいるということです。これまで考えてきたことからはそれはとてもあたりまえのことですが、現代社会では決してあたりまえではありません。多くの人は、人間はこの図の外、しかも上の方にいると考えて行動しているのではないでしょうか。

 

 

新生命誌絵巻.jpg

 

 最初に生きものは多様だというところから入りました。「生物多様性」です。近年環境への関心が高まり、環境問題の一つとして「生物多様性」が取り上げられるようになりました。生きものは多様であることが重要であり現存の生きものを滅ぼすような行為は問題であるという意識は、多くの人が持つようになりました。けれどもその時、人間は他の生物とは違う特別な存在であり、外から生物多様性を守るという感じがあるのではないでしょうか。その気持を象徴するものとして「地球に優しく」という言葉があります。絵巻にあるように、「人間は自然の一部であり、さまざまな生きものの一つとして存在している」のです。地球は私たちを抱え込んでくれるものであり、私たちは地球に優しくしてもらえるように生きていかなければならないのです。困ったことに地球の力は大きく、地震、台風、噴火、竜巻などなどが私たちを苦しめます。決して悪気があるわけではなく、「地球が動いている」だけのことなのですが、それは私たちにとっては時に命を失なうことさえある恐ろしいことです。これをとくに強く感じたのは、二年前の東北大震災の時でした。しかもこの時は、原子力発電所の事故により被害はこれまでにない深刻なものになったのでした。つまり、現代社会の象徴である科学技術の存在が新しい被害をもたらしたのです。動く地球の上で、生きものの一つとして生きていくには何が大切かを考えさせられる体験でした。実は、このような地球の動きをも含めて描いたのが「新生命誌絵巻」です(図2)。この図でブルーの線を引いたところは、いわゆる絶滅が起きた時です。

 

 

2.東日本大震災から学ぶこと

 

 「生物多様性」とは、「人間が多様な生きものの一つとして存在している」ということを意味しているのだと考えると、二十世紀後半から二十一世紀にかけての私たちの生き方を見直さなければならないことに気づきます。具体的には、私たちの価値観を見直す必要があるということです。現代文明は、「進歩」を大事な価値としてきました。「先進国」という言葉がそれを表わしています。先進国は、経済成長をし、都市化し、便利な生活のできるところです。つまり、できるだけ自然から離れ、機械化し、便利にすることをよしとする社会です。

 

 便利にするとは、具体的に言うと、「早くできる、手が抜ける、思い通りにできる」ことをさします。これはありがたいことです。炊飯器という生活用品を例に考えます。それまでは、お釜を火にかけ、火加減をしながら炊き上げなければなりませんでしたから、かかりきりです。手は抜けませんし、時間がかかります。しかも、いつも思い通りに炊けるかとなると、焦げてしまったり・・・。今では炊飯器の予約ボタンで炊き上がりの時間を設定し、スイッチを入れておけば、望みの時に美味しい御飯ができ上がっています。まさに手抜きで、早くでき、しかも思い通りです。すばらしいこと、ありがたいことです。

 

 ただここで考えなければならないことがあります。生きものはこれができません。花を育てようとしたら、手抜きはできません。タネをまいて花が咲くまでの時間はきまっています。しかも手をかけても必ずしも思った通りに咲くとは限りません。そこで、現代社会では生きものは扱いにくいもの、遅れたものとされました。第一次産業の位置づけがそうです。その結果、日本の場合、経済成長の中で食糧自給率が下がることになったのです。けれども、これが本当の先進国なのだろうかと問い直す時が来ています。

 

 便利さを求めて機械を作ることを否定する必要はありません。しかし、それを唯一の価値としてしまうと生きものを否定することになります。たとえば、教育を考えてみます。私たちは、子どもたちに早くできること、手がかからないこと、思い通りになることを求めていないでしょうか。これに合う子どもをよい子としていないでしょうか。それは子どもを機械のように見ていることになります。子どもは生きものです。ですから生きているという過程が大事なのであり、早いことだけがよいとは言えません。ゆっくり考えている時、子どもたちは本当の意味の成長をしているのです。大人の思い通りのことだけをしていたら新しいことは生まれません。思いがけないことをすることが創造であり、それがあるからこそ生きものは面白いのです。機械がもつ特徴に価値を置き、生きもののよさを否定することを考え直す必要があります。まさに「多様性」です。多様性は外から見て守るものではなく、私たちが生きる時の価値観とするものであるというのが生命誌からの提案です。

 

 

3.生きものである人間を大切に

 

 「多様性」を生き方の価値観とするという時に再確認しておきたいことがあります。生きものの多様性の底には、共通性があるということです。多様とは何でもありを許すものではありません。

 

 人間が生きものであることを基本に置くと大切なのは、心も体ものびのびと思いきり生きることのできる社会づくりになります。それには、美味しくて安全な食べものを基本に医療、教育、住居、環境が整った社会づくりが必要です。一律な機械的発想ではなく、それぞれの社会がその自然に合った形で技術を活用して農林水産業を確立し、子どもから老人までが生き生きと暮らせる医療システムを作り上げることが基本です。教育も、子どもたちが生きものであることを大切に、それぞれの個性を生かし、多様さを認めるシステムであることで創造的な社会への道が開かれるでしょう。

 

 最近、多くの人が暮らしにくさを訴えています。金銭の動きで測る経済成長、数値で測る競争などで一直線に序列をつける社会では、じっくり考えたり、優しさを求めたりする余裕がありません。それでは、生きものとしての人間が悲鳴をあげます。人間は生きものの外に出てしまい、外から生物多様性を唱えるのでなく、人間もその中に入っての生物多様性の重要性を意識することです。それによって、この生きにくさ、暮らしにくさから脱け出し、誰もが生き生き暮らす社会を作っていきたいと思います。

 

 

図1  生命誌絵巻

生命誌の提唱者、中村桂子(JT生命誌研究館館長)が一つひとつの生きものがもつ歴史性と多様な生きものの関係を示す新しい表現法として考案した図。

扇の要は、地球上に生命体が誕生したとされる38億年前。以来、多様な生物が生まれ、扇の縁、つまり現在のような豊かな生物界になりました。多細胞生物の登場、長い海中生活の後の上陸と種の爆発など、生物の歴史物語が読み取れます。

(原案: 中村桂子/協力: 団まりな/絵: 橋本律子/提供: JT生命誌研究館)

 

図2  新・生命誌絵巻

大陸移動・気候変動(とくに氷河期)などダイナミックに動いてきた地球の中での生きものの歴史を描きました。現存生物の大きさは種数比を表わしています。生きものと環境がお互いに影響し合いながら豊かな生態系を生み出した物語を紡いで下さい。

(イラストレーション: 和田 誠/提供: JT生命誌研究館)

 

 

 中村桂子 (なかむら けいこ)氏プロフィール

 

JT生命誌研究館 館長。

昭和11年生まれ、東京都出身。

昭和34年 東京大学理学部化学科卒業。昭和39年 東京大学大学院生物化学専攻博士課程修了 (理学博士)。

 

国立予防衛生研究所研究員、三菱化成生命科学研究所社会生命科学研究室長、同研究所人間自然研究部長を経て、早稲田大学人間科学部教授。平成5年にJT生命誌研究館副館長、平成14年より同館館長を務める。

東京大学先端科学技術研究センター客員教授、大阪大学連携大学院教授を歴任。

  

受賞歴

  平成 5 年  第47回毎日出版文化賞 「自己創出する生命」(哲学書房)

  平成 8 年  第12回日刊工業新聞 技術・科学図書文化賞優秀賞

           「ゲノムを読む」(紀伊国屋書店)

  平成12年  第8回松下幸之助花の万博記念賞/第15回ダイヤモンドレディ賞

     平成14年  オメガ・アワード2002/第10回大阪府女性基金プリムラ大賞

  平成19年  第45回大阪文化賞

  平成24年  アカデミア賞文化部門

 

 

 

English