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生物多様性コラム

なぜ生物多様性が重要なのか?

クリストファー・ロイド
ジャーナリスト、作家、出版者、講演者

実を言うと、この質問に答えるのは見かけよりずっと難しい。確かに、多くの人は自然を本能的に愛する心を持っている。なぜなら自然は美しく、多様性に富み、私たちは自然のおかげで食べ物や資源を得て生きることができるからだ。しかし、世界人口71億人の大多数が町や都市に住む現在、自然に対する私たちの本能的愛着は失われる危機に瀕している。

 

人間にとって役に立ちそうもない種を絶滅から救おうとしている環境保護主義者たちの抗議は、ますます説得力を失い、都市生活という主流の現実からかけ離れたものとなりつつある。近頃では、「生物多様性を守らなければならない」と言うだけではまったく不十分である。はるかに重要なのは「なぜ?」を説明することだ。生物多様性が地上のすべての人にとって中心的関心事となるべき根本的理由がなければ、持続可能な未来を作ろうとする戦いは、いつまでも勝ち目がないだろう。

 

そこで再び問いたい。なぜ生物多様性が重要なのか? なぜ人間は、自分たちが最も欲し、必要としているものを一番もたらしてくれる種に注意を向けるだけではだめなのか? すなわち、食料、すみか、快適性、美、余暇である。いずれにせよこれらは、人間以外の種にとっては、今日最も重大な選択基準となっている。

 

コメは大成功を収めているし、ニワトリもしかりである(地上には常に240億羽が生息していることを考えると、ニワトリの遺伝子がヒトの遺伝子よりはるかに大きな成功を収めていることは明らかだ)。成長の速いユーカリの木は、私たちに安価な紙を提供し、広大なプランテーションにはフェンスの杭がびっしり並んでいる。イヌネコは、孤独な人々や子どもたちに生きる喜びを与えてくれる。バラハスの花は、見た目の美しさや均整美を愛でる心に訴える。コーヒーお茶は脳に作用して、気分を刺激したりリラックスさせたりする。

 

それならなぜ私たちは、地上の人間の生活を心地良いものにしてくれるわずかな種の保全のみに集中しないのか? 両生類が死に絶えたところで、何だというのだ? カエルの脚がご馳走とされるフランス以外では、残念がられることはほとんどないだろう。アフリカサイやインドトラが絶滅の危機に瀕しているからどうだというのだ? 何十億人もの人間が大きな町や都市に暮らす世の中で、過ぎ去った時代の生き物を誰が必要とするだろう? 動物園の呼び物となる以外に、これらの動物は今日の世界にとって関係のない存在であり、だから自然は、場違いな生き物たちにとって最善の道、すなわち絶滅の道を歩ませているのだ。このような野生生物の粛清について、人間を非難することはできないはずだ。結局のところ、人間も自然体系の一部だからである。しかも、非常に成功を収めた一部なのだから。

 

以上のような根本的反論によって、環境保護主義者たちは何よりも厳しい課題に直面している。彼らは、自然界を大切に思うがゆえに、地上の生物多様性を保全するための議論に勝とうと躍起になっている。しかし残念ながら、世界の種の保全を訴える努力が失敗しつつある理由の大部分は、彼らが主張を伝えられず、この議論に勝てないためである。

 

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私はこの6年間、何よりも不思議なノンフィクションの物語を、どうしたら人々が楽しみ、評価してくれるだろうかと模索しながら過ごした。つまり、過去40億年にわたって進化してきた地球、生命、人々のストーリーである。この壮大なストーリーの視点は、普通、学校では教えられていない。なぜなら現代の教育者たちは、古臭いビクトリア時代の発想に凝り固まっており、バラバラな教育課程の断片を集めて、若者たちに知識を教えようとしているからだ。その結果、他のすべての種に依存して生存し、繁栄する、密接に結び付き合った種として人間を見るという視点が失われている。

 

自然への好奇心を持って生まれた若者たちも、好奇心という生来の学習本能に従って、粉々のガラスのように断片化された知識の世界を理解することはできない。結局彼らは退屈してしまい、知る必要があると言われたことだけ覚えるようになる。

 

まとまりのないバラバラな情報のかたまりを集めただけでは、過去、現在、未来にわたる大きな全体像を描くことはおそらくできない。悲しいことに、このような病んだ教育は、欧米だけでなくアジアにも蔓延している。教育を断片化したサイロ的手法に引き下げてしまう欧米の習慣が、不幸なことに世界中に輸出され、20世紀を通して支配的な影響を及ぼしたからだ。

 

したがって、なぜ生物多様性が重要かという議論に勝つためには、焦点を絞った専門研究と並行して、またそれに加えて、大局的な学習方法を確立する必要がある。生物圏のあらゆる片隅に人間の文化が蔓延した結果の全体像を、若者が「ズームアウト」して見ることができるようにする学習方法を見つけなければならない。

 

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そのために私は、1,000種の生物の年代記を作ってみた。それは、40億年近く前のバクテリア出現から始まり、71億人の人間があふれる今日の世界にまで至る。また、「地球上で進化した生物は何か?世界を変えた100種の生物」という本も書いた。この本には、人間以外で最も成功した種のストーリー、そして私たちの過去、現在、未来がいかに他の生物と密接に関連し合っているかが書かれている。私は、あらゆる機会を捉えて学校、会議、博物館、文学祭を訪れ、過去の点と点を結ぶ大局的な学習方法を紹介している。

 

このような大局的な物語(映像、文字、または劇)から沈降する最も重要なメッセージは、生物多様性は重要である、なぜなら種の大量絶滅に対して生命が持つたったひとつの保険だからということだ。

 

幸いにも、町や都市の住人は保険とは何かを理解している。なぜなら彼らは、窃盗や事故による損害から訴訟の際の個人的責任に至るまで、あらゆることへの備えを購入して、増大する現代社会の不安感を軽減しようと、何十億ポンドも費やしているからだ。今日ではほとんどの人が、いつでも、どこでも、あらゆるものから身を守るために保険をかけている。家や自動車から、休暇旅行や生命に至るまで。都市化すればするほど、私たちは保険を求める。世界中で保険に費やされる金額は、まったく計り知れないほどだ。

 

生物多様性は、絶滅に対して自然がかける保険となるから、重要なのだ。生態系の多様性がなければ、自然は、環境が変化した時に回復する、あるいは適応することができない。生物多様性は自然が自己修正するための基本的な中心軸であり、そのおかげで自然は、40億年近くにわたって際限なく変化し続ける環境の中で存続し続けることができたのである。

 

生物多様性がなければ、細胞内共生、すなわち植物や菌類から動物、人間に至るまで、あらゆる高等な生物の出現につながる素晴らしい出来事も生じなかっただろう。20億年前、酸素濃度の上昇により多くのバクテリアが絶滅の危機に瀕したが、彼らは毒素ショックを回避する複雑な細胞を作り出すことによって適応した。

 

生物多様性がなければ、カンブリア紀の海に住む生物たちは、発達した視覚を持つ動物(三葉虫)がいる世界で生き続けられるよう適応することはなかっただろう。透明度の高い水中の視界がもたらした活発な捕食の時代が始まると、たちどころに、殻、骨、歯、カモフラージュ、地面に潜ることが生き残るための重要な手段となった。生命の多様性がなければ、視覚を持つ生物に対して最も優れたサバイバル能力を備えた生物が、生命の最新のサクセスストーリーとして登場することもなかっただろう。

 

生物多様性がなければ、爬虫類が地上で支配的な生物となることはなかっただろう。ひとつの巨大な超大陸パンゲアが支配する世界において、防水性のある硬い殻を持った卵を陸上で生むことができるというのは、生存のための重要な優位性となった。

 

生物多様性がなければ、6500万年前に隕石衝突により地球上の恐竜が死に絶えた時に、哺乳類が繁栄を遂げることはなかっただろう。隕石のちりが太陽光を遮り、1年間にわたる恐ろしい夜が続いた時、暗闇の中でも狩りができる能力と鋭い嗅覚を備えた哺乳類は、決定的に有利になった。

 

生物多様性がなければ、人類の祖先は遠くを見通す方法として二足歩行に適用することはなかっただろう。氷河期の到来によりアフリカの降雨量が減って、森林を維持できるレベルを下回ったため、木々が草原へと姿を変えた時に、それは起こった。二足歩行の結果、自由になった手を使って道具を作るようになり、そこから先は文字通り歴史となっている。

 

生物多様性がなければ、はるか昔にウィルスが人類を根絶やしにしていただろう。すべての人間の遺伝子コードが同じだったら、1回のウィルス攻撃の成功で人類を地上から消し去ることができたはずだ。

 

生物多様性は、生物系が適応することを可能にする重要な保険なのだ。私たちがそれを破壊すれば、自らを破滅の危機にさらすだけでなく、将来のいつか必ず訪れる大規模な絶滅の衝撃(ひょっとしたら人為的な気候変動?)から生命が回復するために使うシステムを破壊する危険を冒すということになる。

 

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ホモ「サピエンス」という1種類の多産な種だけに都合の良い、限られた遺伝的特徴が支配する世界において、生物学は存続しえない。モノカルチャーは、変化に適応できるように作られていないため、持続不可能である。それは、自然の自己修正システムではないのだ。

 

煎じ詰めれば、都市化した世界のいたるところで金銭的な保険のためにつぎ込まれているすべての投資を裏打ちしているのは、生物多様性である。なぜなら、生物多様性がなければ、保険で守るべき世界もないからだ。

 

この極めて重要なメッセージにとって、断片的な教育課程、専門家だけの知識、サイロ的学習方法はまさしく敵である。これらを変えることなく、また、私たちを取り巻く世界の点と点を結ぶわかりやすい壮大な物語を構築することなしに、「なぜ生物多様性が重要なのか?」という問いに有効な答えを見出すことは決してできないだろう。

 

 

 

 

クリストファー・ロイド氏  プロフィール

 

クリストファー・ロイド氏は、ジャーナリスト、作家、出版者、講演者として、広範で包括的なキャリアを築いてきた。

 

1991年、ケンブリッジ大学ピーターハウスを卒業。

サンデー・タイムズ紙のジャーナリストを経て、1996年、サンデー・タイムズのインターネット・エディターに就任。1997年には、インターネット・サービス合弁事業、「ライン・ワン」を共同創設、論説員に就任。1999年、ニューズ・インターナショナルにおいて、インターネット関連事業のネットワーク開発を提案。インターネット上の新聞事業に新たな投資を呼び込んだ。

2001年、教育ソフトウェアの出版社「イマーシブ・エデュケーション」社のチーフ・エグゼクティブ(最高経営責任者)に移籍。無収益で研究開発段階にあった同社を、300万ポンド以上を売り上げる企業へと成長させた。

 

2006年、ロイド氏は同社を退社、妻と、(学校教育に拠らず)家庭において教育を授けていた二人の子どもと共に、欧州旅行に出発。この欧州旅行は、ロイド氏に、著作「地球に何が起こったか?」のアイデアをインスパイアするものとなった。同年、帰国したロイド氏は、シリーズ著作「地球に何が起こったか?」に着手、現在「137億年の物語 宇宙が始まってから今日までの全歴史」 と「地球上で進化した生物は何か?世界を変えた100種の生物」が出版されている。

2010年2月、ロイド氏は新たな出版ベンチャー企業を設立し、ビジュアル本の出版による世界的な物語の展開方法について考察、従来の本のように読むことができ、折りたたまないで壁にもかけられる本「ウォール・ブック」を提案。2010年9月に刊行されたウォール・ブックは、英国において5万部以上を売り上げ、世界各国で翻訳されている。現在、5つのウォール・ブックがてがけられており、うち4つは出版されている。

 

現在、ロイド氏は、著作・出版活動に従事しながら、英国内外の学校、大学、博物館、文芸祭において、講演活動を行っている。

 

著作

「137億年の物語 宇宙が始まってから今日までの全歴史」 2008年

What on Earth Happened? The Complete Story of Planet, Life and People from the Big Bang to the Present Day (2008)

「地球上で進化した生物は何か?世界を変えた100種の生物」 2009年

What on Earth Evolved? 100 Species that Changed the World (2009)

「地球に何が起こったか?ウォール・ブック」 2010年

The What on Earth? Wallbook (2010)

「地球に何が起こったか?自然史についてのウォール・ブック」 2011年

What on Earth? Wallbook of Natural History (2011)

「地球に何が起こったか?スポーツについてのウォール・ブック」 2012年

What on Earth? Wallbook of Sport (2012)

「地球に何が起こったか?サイエンスとエンジニアリングのウォール・ブック」 2013年

What on Earth? Wallbook of Science & Engineering (2013)

「シェイクスピアについてのウォール・ブック」 2014年 出版予定

What on Earth? Wallbook of Shakespeare (to be published in 2014)

 

 

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