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生物多様性コラム

食べるものをうやまい、生物多様性をうやまう

セヴァン・カリス=スズキ
文化・環境活動家、著述家

 

生物多様性は進化を促している。そのおかげで生物は生き残り、災害に直面しても生態系の回復力が発揮される。食物連鎖の頂点に立つ人間が生き残るためには、生物多様性は不可欠だというのに、人類は、この事実をまったく考慮せずに優先順位を決めている。今日私たちは、大きなグローバル経済と現代的パラダイムに流され、種の大量絶滅を招いている。これは地上の生命史における第6の大量絶滅時代であるが、私たちはその影響にようやく気付き始めたところだ。

 

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この大量絶滅は、人類の未来にきわめて甚大な影響を及ぼすおそれがある。それなのに私たちは、いまなお何も考えずに日々の生活を送っている。なぜこのようなことになってしまったのか。それは、現行の経済では原因と結果が切り離されてしまっているからである。私たちは、自分が自然界と結び付いているという感覚を失ってしまった。人類始まって以来、自然界との結びつきが重要であることは明白だというのに。今日私たちは、大量生産され、殺菌され、パッケージに入った食品を、巨大チェーンの食料品店で買っている。そこでは、肉はスライスされた状態で売られ、卵は清潔で真っ白な発泡スチロール容器に入っている。食品は、土や生きている動物から採られたようにはとても見えない。都会っ子たちは、牛乳がモーモー鳴く生きた哺乳動物から採られていることすら知らない。だから、生物多様性の保護を私たちが深く考えないのも不思議ではない。私たちは、自分の生活と生命が結びついていることを感じられずに生きている。なぜなら、私たちは生命からあまりにも遠くに切り離されているからだ。

 

では、どうしたら私たちは地球上の生物多様性を守ることができるだろう? そのためには、生物多様性のリアリティをもっと感じなければならない。個人としても人類としても、自分が動物王国の一員であるということ、命をつなぐ一吸いの空気、一口の飲み物、一口の食べ物でさえ、健全な生態系があってこそだということを思い出さなければならない。水と塩を除けば、私たちが日々口にしているものはすべて、かつて生きていたものだ。このリアリティを再認識するひとつの方法は、食べるものを自分の手で育て、自分の手で殺すことだ。この2つの行為は、分断化されグローバル化された食料経済の主流、植物が土から育つということ、人が生きるためには生き物の命を奪わなければならないということから目を逸らさせようとする経済に対する抵抗である。払うべき敬意を払い、自分の責任を認識するためにも、私たちは生き物の成長と死に立ち会わなければならない。

 

私は小さい時から庭のある家に住み、自分が食べるものを育ててきたが、最近では、食料となる魚介類と肉はすべて自分と家族が捕獲・収集する土地に暮らすようになった。6年前に夫の故郷であるハイダ・グアイ群島の先住民の村に移住して以来、人間のちっぽけさを知り、たくましく生きる力を身に着け、日々学びながら生きている。春は、はえ縄漁でオヒョウを獲り、産卵のために川を上ってくる紅鮭を網で捕まえる。夏は、チヌークサーモンや銀鮭を竿で釣る。干潮時はウニをヤスで突き、岩からホタテ貝をはがす。秋には、夫が鹿を狩る。冬は、マテ貝やハマグリを掘り、ガンやカモを狩る。時にはタコをヤスで突く。

 

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とはいえ、獲るのは自分たちで処理できる分だけだ。残りのシーズンを食いつなげるように食料を加工するのは、大変な手間がかかる。だから、獲りすぎるようなことはしない。村には、100年前ほど豊富ではないが、全員に行き渡るだけの食べ物が常にある。村は金銭的には決して裕福ではないが、ハイダ・グアイの豊富な食料資源のおかげで村民はとても豊かに暮らしている。食べるものを自分の手で収穫し、自分の手で殺すという経験は、大きな変化をもたらす。生命を尊び、人間としての責任を真剣に考えることを教えてくれる。

 

初めてタコ漁に行った時のことは、よく覚えている。当時はまだ結婚していなかったが、未来の夫であるジャドソンが、干潮の暗い夜、タコのヤス漁に私を連れていってくれたのだ。干潮のタイミングが合う日を何週間も前からカレンダーに書き込んでいた私は、とてもワクワクしていた。私はすべてに魅了され、子どもの頃からタコ漁をして育ち、祖先の土地と調和して生きてきたジャドソンの一挙手一投足を見守った。彼の実家には、13歳のジャドソンと祖父のガーラーイが一緒に写った22年ぐらい前の写真がある。写真の中でジャドソンは、彼らが獲った巨大なタコをやっとのことで持ち上げている。祖父はニコニコして、とても誇らしげだ。

 

そのジャドソンがハンターへと変わる様子を、私は目の当たりにした。トラックが海に近づくにつれて、ジャドソンの興奮は高まり、背筋をピンとさせ、体には警戒心がみなぎっていった。車から降りると、浜辺に急ぐ彼を慌てて追いかけなければならなかった。浜辺は暗く、満月は雲に隠れて見えなかった。

 

タコを捕まえる秘訣を全部明かすわけにはいかないが、まず、しかるべき引潮のタイミングを待つ。そして、岩の間にほどよい潮溜まりがある、ハイダ・グアイのしかるべき浜辺を見つけなければならない。ヘッドランプ、棒、長靴、防寒具など、しかるべき装備も必要だ。そのうえで、タコのすみかを見つけるのだ。訓練された目にしか見えない、それとわかる目印を見つけなければならない。タコをどうやって捕まえるかって? 世界中どこでも同じことだが、やるべきことを知っている人と一緒に行かなければならない。その人も、かつては誰かに教わったというわけだ。ジャドソンはすみかとおぼしきところを順繰りに調べ、ドアのノックに返事があるのを待った。

 

浜辺にもうひとつ灯りがあったので近づいてみると、ジャドソンのハンター仲間だった。彼は岩の下にいるタコを待っていたので、私たちも一緒に待った。私は、あの捕らえにくい生き物を見たくてウズウズしていた! 私たちは、ただひたすら待った。やがてジャドソンがすみかの裏口を見つけ、男たちはタコを外に誘い出そうとし始めた。私は、ヘッドランプの光が表口に当たらないよう注意していた。みんながあきらめかけた頃、突如、タコがすみかの表玄関から飛び出してきた! すかさず友人がそれをつかみ、水から引っ張り出した。

 

それは、直径1メートルほど、暗い赤色の堂々たるタコだった。私は思わず叫んでしまい、静かな夜に声を響かせた。タコは、8本の脚をくねらせ、つかみかかり、伸ばし、なんとかして逃げ出そうとしていた。私たちはみな、その素晴らしい脚、大きな丸い頭、くっついた指を離すとポンッと音がする巨大な吸盤を、感嘆の目で眺めた。あまりにも力強く、あまりにも美しかった。

 

とはいえ、私たちはタコを殺さなければならなかった。ジャドソンが手ごろな石を見つけて友人に渡し、友人はタコの目と目の間を一撃した。私は、この美しい生き物に感謝の祈りをささやいた。怒り狂った脚が巻き付こうともがいたが、やがて垂れ下がり、タコは死んだ。かくも魅惑的な生き物、道具を使い物で遊ぶことができる高い知性を持った生き物が死んだ。友人は、慣れた手つきでタコを裏返してワタを引っ張り出した。彼は嬉しそうで、私たちに幸運を祈り、獲物を持って浜に上がって行った。「昼間彼に会ったら顔がわかるだろうか」と思った。私たちは暗闇の中に戻ったが、今度は探すべきものが何かわかっていた。

 

私は、街にあるレストラン「キブネ・スシ」の「タコ」のことを思った。バンクーバー水族館で、姿が見えないタコの水槽のガラスを覗き込んだことを思った。クアドラ島でエビ獲りカゴにかかった小さいタコや、ハイスクール卒業直後の素敵な夏、友だちと一緒にケープスコットの潮溜まりで見つけたタコのことを思った。また、クワクシスタラ(先住民クワ クワカワクゥ族の族長)がニシン漁船の近くで見たという、水から這い出てきてハックルベリーの実を摘みとっていたタコのことを思った。そして、ジャドソンの父親のところで食べた焼いたタコが、どれほど美味しかったかを思った。

 

「おいで」とジャドソンが言った。懐中電灯のぼんやりした光に照らされて、タコのすみかと、入口からだらりと出ている1本の脚が見える。死んでいるのだろうか。覗き込むと、彼が「捕まえろ」と言った。おそるおそる脚をつかんだが、それは穴の中に引っ込んでしまった! びっくりしたし、しっかりつかまなかったことが恥ずかしかった。タコが逃げ込んだ岩は小さかった。ジャドソンが岩を動かすとタコが泳ぎ出てきたので、それを捕まえた。小さくて完璧なオレンジ色のタコだ!!

 

私たちは、この完璧な生き物を検分した。吸盤は小さく、デリケートだ。タコは指に絡みつき、私たちを賢そうな目で見ている。しわくちゃのお年寄りのようだ。

しばらく観察した後、ジャドソンはタコをもっと成長させてやるべきだと判断し、水に入れてそっと海に放した。タコは、ヘッドランプに照らされてこちらに墨を吐き、優雅に泳ぎ去り、岩と岩の間まで行ってふっと姿を消した。

 

潮が満ちてきたので、私たちは暗闇の中を歩いて戻った。すっかり遅くなっていた。ジャドソンの動きは、さっきほど機敏ではない。懐中電灯を消し、雲のかかった満月の空の奇妙に明るい光の中を歩いた。砂浜を横切り、私たちは腕を組んで車を目指した。タコの獲物はなかったが、とても幸せだった。あの謎めいた生き物と出会うことができ、干潮の魔法を体験することができたのだから。

 

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家に戻ってから、ハイダ族には自然環境について特別な教えがあるか、ハイダ族の義母に聞いてみた。長いこと考え込んだ後、義母は言った。「すべてはひとつの言葉に尽きるわね。『うやまう』ということ。自分自身をうやまい、ほかの人をうやまい、食べるものをうやまい、土地と海をうやまうことよ」と。私たちが生活し、繁栄し、時には浪費するために、多くの生命体が命を提供している。植物を栽培し、狩りや釣りをし、食べるものを自分の手で殺すことによって、食料資源と再びつながることができたら、人が食べるということの本当の代償を心から理解することができる。私たちは、再びつながり、大地と海をうやまう心を取り戻す必要がある。うやまうということは、私たちが生物多様性にどれほど依存しているかを深く理解することでもある。そして、私たち人類がはるか未来まで前進しようとするなら、うやまう心は不可欠なのだ。

 

 

 

 

 

 

セヴァン・カリス=スズキ氏  プロフィール

 

文化・環境活動家、著述家。カナダの2012年「地球サミット」に向けたイニシアティブ「WE CANada」の推進者、APTNのTV番組「Samaqan: Water Stories」のホスト、ハイダ・グアイ高等教育学会およびデヴィッド・スズキ財団の理事。少女時代にセヴァンは友人たちと「子供環境運動(Environmental Children's Organization)」を結成し、12歳の時、国連による1992年リオ「地球サミット」でスピーチを行うまでに至る。地球憲章の起草委員(earthcharterinaction.org)を務め、スカイフィッシュ・プロジェクトの仲間とともに2002年ヨハネスブルグで開催された「持続可能な開発に関する世界サミット」において「責任の認識」の誓約を提起した。これまでに3回来日し、ナマケモノ倶楽部とともに講演ツアーを行っている。将来を嘱望される若きカナダ人の人的ネットワーク機関「アクション・カナダ」のフェローを務め(‘04-‘05)、日本で数冊の著作を発表しているほか、Notes from Canada’s Young Activists (Greystone books, 2007)の編集および執筆を行った。エール大学で生物学の学士号を取得した後、ヴィクトリア大学で民族生態学の修士号を取得した。ヴィクトリア大学では、先住民クワ クワカワクゥ族の長老たちを対象に研究を行った。セヴァンは、夫と2人の息子とともに、ブリティッシュコロンビア州の沖合にあるハイダ・グアイ群島に住み、ハイダ語の研究を行っている。

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