English

生物多様性コラム

ナチュラル・ガーデン -生態系が生まれる庭造り-

ポール・スミザー
ガーデンデザイナー、ホーティカルチャリスト

1980年代半ば、ちょうど両親が手に入れたばかりの、洞窟のようなセミデタッチハウス*をもっと住みやすい場所にしようと精を出していた頃だ。私は1冊の本を渡され、庭をなんとかするように言われた。本の名前はクリス・ベインズの「ワイルドライフ・ガーデンの作り方(How to Make a Wildlife Garden)」。私はたちまちとりこになり、早速、庭造りをやってみたくてたまらなくなった。そしてこう思ったのだ。池を掘り、在来種を中心とする木や低木を植え、それまで刈り込まれていた芝生を伸びるにまかせれば、小さくとも互いに関連し合う一連の生息域が生まれ、現代の比較的狭い庭でも様々な動植物の生育が促されるはずだと。

*一棟二軒の家。一棟で玄関が別々にある英国の住宅。左右対称な造りになっている。

 

PS PHOTO1 JP.png

重い粘土質の地面に手作業で池を掘った後、父と私はすっかり疲れ切ってしまい、誰かの励ましを必要としていた。すると、完成からわずか20分後に、大きなゲンゴロウが、私達の庭にやってきたのである。来訪者は次々に私たちの庭を訪れ、次の春、私たちはイモリやヒキガエルや小型カエルのコロニーを抱える栄えある地主となった。小型カエルは特に嬉しかった。というのも、都市の拡大と集約化する農業技術のために、周辺の田園地帯の多くで小型カエルが姿を消していたからだ。

 

池の周囲に沿って作った春の野草の咲く小さな野原は、カウスリップ(Primula veris)とレディーススモック(Cardamine pratensis)の保護区となった。後者はビクトリア時代の住宅の芝生に生えていたものだが、再開発のため、葉挿しをして増やした。

新しく作った混植の生垣は、すぐに鳥や虫たちに食べ物と隠れ家を提供するようになり、まだらな木陰は森に生える植物にとって最適の環境となった。

リンゴの老木に取り付けた巣箱は、アオガラのペアが子育てをする家となり、その代わりに彼らは、葉を食べる様々な毛虫を律儀に駆除してくれた。

 

最後に、蜜を求める虫たちを引き寄せるために選んだ草本類や花をつける低木からなる、英国の一般的な植え込みを家の建物の近くに配した。これは、庭を五感すべてに心地よいものにするというだけでなく、地元の環境にとって有益な影響を与えるものにするためだ。

この庭作りをしていたちょうどその頃、私は正式な園芸学の教育を受け始めた。日中は熟練の園芸スタッフとともに作業して実地の体験を積み、夜は肥料のやり方や殺虫剤の正しい使い方といった問題に関する園芸理論を学んだ。即座に眠りに引き込まれることはさておき、私はこの授業を受けて混乱してしまった。なぜなら、私は、噴霧装置一式で重装備する必要があるような害虫や病気の問題を一切抱えていなかったからだ。肥料について言えば、自分の庭に野原を作る際に従った指示は明確だった。肥料は一切使わないこと。場所を選ぶ際は、可能な限り最も痩せた土壌を選ぶことによって、勢いよく茂る植物との競争を抑え、多くの種類の植物が育つようになるそして、土壌が肥沃になるのをさらに抑えるため、枯草を刈ったらそれを取り除き、別の場所で堆肥にして、養分が土に返るのを防ぐということだ。

 

しばらくして私は、植物栽培に対するこの2つの異なるアプローチについて、英国の一般的な庭に外来種を中心とする植物を植えれば化学薬品の助けを借りた栽培法を採用せざるを得ない、なぜならば外来種は英国の生育条件に在来種ほど適応していないからだと推定することにより、折り合いをつけた。

 

今になって振り返ると、手入れのされていないスーパーマーケットの風景を見ただけでも、この推定はあっさりひっくり返される。しかし、あの当時、野生生物を引き付ける庭は、英国の一般的な庭から離れたところにある、片隅のような場所に作られるのが常だったのだ。

 

PS PHOTO2 JP.png

20年あまり前に日本に来てから、やっと合点がいった。長野県の高山の花畑に文字通り迷い込んだ私は、野生のヘメロカリス、クガイソウ、シャクナゲ、シモツケソウ、ギボウシが生い茂るのを目の当たりにしたのだ。これらはいずれも、イングランドで勉強していた時には肥料をやるべき植物として教えられていたものだ。しかし、山地の奥深く、人の手が一切入らないところで、これらの植物はみな、いたって健康そうに見えた。外来種も、せんじ詰めればほかの誰かにとっては在来種なのだ。

それ以来、植物はそれが適応している場所に植えることが、よく育つか否かを決める最も重要な要因だとわかってきた。そのうえで、多年草を株分けして新芽の生育を促したり、樹木であれば的確な剪定をして若返りを図ったりすることが、植物の活力を維持するために必要になる。

 

腐葉土や樹皮堆肥で根覆いをすれば、植物の水分を保ち、雑草の生育を抑え、バクテリアやミミズを活発にする土壌を育てることができる。

 

 

八ヶ岳ナチュラルガーデン

 

PS PHOTO3 JP.png

PS PHOTO4 JP.png

 

事業を立ち上げて間もなく、山梨県の住宅に付属する小さな庭の設計と施工を委託された。その場所は急な斜面にあったので、地面を平らにして植物を植えられるようにするため、地元の自然石を空積みした石積みで支えて幾段もの棚を築造した。

 

植え方は多くの種類を交ぜ、寒い冬が長く続く地域で1年を通して楽しめるような植物を選んだ。そのうちのいくつか、特に庭のはずれの地帯には日本の在来種を植えたが、多くは、栽培が容易で現地の条件に適しているという理由から非在来種を選んだ。

 

 

 

 

 

 

PS PHOTO 5 JP.png

非常に軽い砂質の土壌は、植え付け前に腐葉土をたっぷりと混ぜ、植え付け直後に腐葉土でマルチングをすることによって改善した。しかし、肥料は使わなかった。すべての植物に、しっかりと水をやった。

 

最初の植え付けは梅雨が始まる直前に行ったのだが、1ヵ月にわたってたっぷり雨が降った後、植物は大変良く育っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

PS PHOTO6 JP.png

 

実を言うと、小さな群れをなすコモンセージ(Salvia officinalis)は、最初の年は非常によく育ち、たっぷり収穫できるほどの葉をつけた。これらは、おそらく柔らかな葉が生い茂るせいだろうが、冬を無事に越すことはできなかった。しかし、砕石を転圧した上に砂利を敷いた棚段の真ん中にわざわざ植えたものは、その後7年ほど生き延びた。これは、一般に考えられているより植物は、栄養が少ないほうがしばしば良好に育つという私の考えをさらに裏付けるものだった。

 

年月とともに庭は拡大し、3枚の休耕田との境界まで広がった。私がそのうちの1枚を耕してみたいと言ったら、考え直す暇もないうちに3枚全部を世話してくれないかと頼まれた。申し出を引き受けるやいなや、見たこともない素早さでおばあちゃんが田んぼから姿を消していった。

 

やがて、仕事が忙しくなった時に自分が無理をしすぎていることに気づいた。そこで、耕作の方法を効率化して、雑草取りのような時間を取られる手入れを最小限に抑えた。

 

PS PHOTO7 JP.png

非常に早い段階から2枚の休耕田には防草シートをかぶせ、植物はシートに入れた切り込みから植えることにした。土壌は腐葉土で改善し、シートは砂利で覆った。砂利で覆った主な理由は、シートを隠すと同時に保護することだが、一年生植物の自生を促して、植え付きやすくするという目的もあった。植え方は北米で人気になったプレーリースタイルで、北米と日本の在来種を交ぜて豊富に植えた。場所によっては広く間隔を空け、それぞれの姿をよく眺めることができるようにした。砂利を2cmの厚さに敷いたマルチングは、コスモスで大成功を収めた。ちょうどこの砂利のところだけ、よく育って花を咲かせ、なんと2メートルにまで伸びたのだ。

 

植物の間の砂利のスペースは、「動くものは食べろ」をモットーとする多くのトカゲにとって格好の狩りの場となった。この庭の園路は、植込みと植込みの間の覆われていない地面を定期的に草刈りして作られていたが、自然に生えてきた雑草が3年という年月のうちに自然淘汰を経て、刈取り体制や土壌の条件に適した草やスゲや低く広がる多年生植物からなる、青々とした健康的な草地へと生まれ変わった。

 

 

 

 

PS PHOTO8 JP.png

もう一枚の休耕田は非常にぬかるんでいて、農家のトラクターがしょっちゅうはまっていたほどなので、灌漑が必要になる世間一般的な庭づくりの代わりに、いくつかの池を掘った。地表の土はすべて移動し、道路沿いに長い土手を築いた。それにより、道路からプライバシーを守れるようにするとともに、豊かな土壌を植栽する場所より取り除いた。それから、痩せた下層土があらわになった場所には、湿地に合う、太陽を好む野生の花を植えた。その多くは、灌漑のために他の休耕田から移植したものだ。

 

そして、地面より高くした木道を設置し、下の植物にダメージを与えずに庭を回れるようにした。庭は現在、たくさんの野生の花と草が文字通り生命を謳歌している。そこには、健康きわまりない池の住人たちや、彼らが引き寄せる他の多くの生き物たちもいる。梅雨の時期に湿った夜を照らすホタルは、この庭を訪れる人たちに特に人気がある。

 

この地域全体の手入れは、枯れた草本類をすべて秋に刈り取って除去し、池の水面が開けた場所を確保するために茂りすぎた水草を除去するだけである。

この庭での体験と実験から、日本中で同じ原則と手法を使って庭を設計することができるという自信が生まれた。

 

PS PHOTO9 JP.png

最近のプロジェクトとしては、鳥取県で開催された2013年全国都市緑化フェアにおけるメインガーデンがある。ここでは、鳥取県の在来種を中心とする植物を植えた広い公園が、地元の材料を使って作られている。この場所は大きな湖山池につながっているため、有害物質が池に流入しないよう、肥料と殺虫剤を使わずに庭を耕すことがこれまで以上に重要となっている。

 

この庭では、湖水と周囲の山々の雄大な景色を背景に、遊歩道を歩きながら、立ち上がり花壇に植えられた多年生植物、球根植物、樹木、低木を楽しむことができる。

野草の咲く草原も植栽され、今後も広がっていく予定だ。

 

 

 

PS PHOTO10 JP.png

夏になると、鳥や虫の生命があふれんばかりになる。私が心配しているのは、トンビがたまに獲物の魚を非常に高いところから落とすことぐらいだ。それはともかく、私はこのような庭を作ることによって、公園や庭が、刈り込まれ、薬剤を噴霧された地味な常緑低木だらけの、単調で活気がない場所である必要はないということを、政策決定者に示すことができればと思っている。

 

 

 

 

 

 

 

PS PHOTO11 JP.png

 

 ポール・スミザー氏  プロフィール

 

イギリス、バークシャー州生まれ。英国王立園芸協会ウィズリーガーデンおよび米国ロングウッドガーデンズで園芸学とデザインを学ぶ。

1997年、東京都三鷹市に有限会社ガーデンルームスを設立。個人邸や別荘、商業施設、公共緑地の設計、施工およびコンサルティングや講師として活動を開始。

 

2000年第1回東京ガーデニングショー プレゼンテーションガーデン部門で「RHSプレミアアワード(最優秀賞)」受賞。

2003年 兵庫県宝塚ガーデンフィールズの英国式ナチュラル庭園「Seasons」の設計を手がける。街の中心にある庭で無農薬を実践し、植物に無理のない自然流の庭づくりを提案。

2004年 新潟県見附市 柳橋千刈街区公園「ナチュラルガーデンせんりゅう」開園。従来の公共公園の概念を破り、子どもからお年寄りまで、誰もが一緒に自然と共に過ごすことができる、季節感あふれる街区公園を提案。

2009年 軽井沢絵本の森美術館内にピクチャレスク・ガーデンを設計、2010年オープン。

2013年秋に開催された第30回全国都市緑化とっとりフェア」のメインガーデンとなる湖山池ナチュラルガーデンを設計・監理すると共にフェア全体のアドバイザーを務める。

2012年より山梨県清里高原『萌木の村』にて庭づくりを始める。八ヶ岳の自然と共生する庭づくりが注目されている。

 

日本の植物と自然をこよなく愛し、日本で活動するガーデンデザイナーのポール・スミザーは、自然と人がふれあうことができるガーデンスタイルを提唱して、自然志向の新しい流れをつくる原動力となった。とくにススキなどの日本原産のグラス類や、ギボウシなどの野草類の用い方には定評がある。また、無農薬を徹底することで、生物多様性の環境づくりを実践し、地域の素材と植物で、その場所らしさ、その場所にしかない空間を創造している。

著書に「ポール・スミザーの自然流庭づくり」「ポール・スミザーのおすすめ花ガイド」(講談社)、「ポール・スミザーのナチュラルガーデン」「街の中に四季をつくる」「日陰でよかった!」「ポール・スミザーのガーデン講座 選ぶことから植えるまで」(宝島社)「オーガニックでここまでできる!」(阪急コミュニケーションズ)、「ナチュラルな庭づくり」(主婦の友社)「ナチュラルガーデンをつくろう! 地元の素材で美しい風景を」など。

DVDに「四季のガーデン生活〜ポール流園芸テクニック」全4巻(BSフジ)がある。

 

ホームページ http://www.gardenrooms.jp/

English