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生物多様性コラム

生物多様性と持続可能な開発:貧困削減のその先へ

日比保史
一般社団法人コンサベーション・インターナショナル・ジャパン
代表理事 兼 CIバイスプレジデント

 

 

MGDsからSDGsへ

 

   2000年に開かれた国連総会において採択されたミレニアム開発目標(MDGs)では、「2015年までに一日の所得が1ドル以下の人口の比率、及び飢餓に苦しむ人口比率を半減すること」を謳いました。今年、その目標年である2015年を迎えていますが、MDGsの目標1である貧困率の半減は、概ね達成されつつあると見られています。

   一方で、MDGsで掲げられた8つの目標の全てが達成されているわけではありません。特に指標7B「生物多様性の損失を2010年までに確実に減少させ、その後も継続的に減少させ続ける」は、目標達成に失敗したといわれている状況です。
   今年の9月に始まる国連総会では、ポストMDGsと位置づけられた2030年までの国際的な開発の枠組みを与えると期待される持続可能な開発目標(SDGs)が採択される予定です。SDGsは、貧困を終わらせ、人類が持続的に発展していくための17のゴール、169の指標(ターゲット)から構成されていますが(ゼロ・ドラフト版)、ゴール14、15など、生物多様性の保全に直接的に関わるゴールも含まれる予定です。

 

 

くらし、産業、経済、文化を支える生態系サービス

 

   そもそも、生物学的な課題である生物多様性が、なぜMDGs/SDGsと関係するのでしょうか。生物多様性は、本来生物学上の概念であり、「遺伝子、種、生態系のすべてにおける変異性(多様性)」と定義され、一義的には「生き物の話」であることは間違いありません。しかし、近年は、生物多様性が維持された自然環境が、人間にとって不可欠なさまざまな便益をもたらすことが理解されるようになってきました。この便益を「生態系サービス」と呼びますが、分かりやすくいえば、「自然の恵み」でしょうか。

   生態系サービスとは、食糧・水・木材・繊維などの自然/生物資源などを提供する「供給サービス」、気候の安定化や水質の浄化、自然災害の緩和、CO2の吸収・固定、受粉媒介、疾病抑制などの「調整サービス」、観光資源、景観的・審美的価値や宗教的・倫理的価値などの「文化的サービス」、そして栄養塩循環や土壌形成、光合成などの「基盤サービス」のことをいい、私たち人間が、生物として生存するのに必要な酸素や水、栄養素、衣食住、そして経済活動や文化の基盤をも提供してくれます。その結果、わたしたち人間が快適な生活を送るための基本的物質を得ることが出来、健康や安全、良好な社会関係、そして選択と行動の自由を可能とする環境条件を与えているのです。これは、自然の近くに住んでいる、自然を直接利用した産業活動をしているかに関わらず、日本のような先進国、あるいは大都市の住民でも、あまねく享受している自然の恵みだといえます。
   なお、これら私たち人間が享受している自然の恵み自体には、現在の経済のしくみの中では、経済的価値が認められていません。最新の研究では、世界全体で人間が享受する生態系サービスは、年間125億ドルの価値があると言われています。これは、世界全体のGDP合計の2倍近い額になります。

 

 

生物多様性と貧困削減

   先進国以上に、生態系サービスに依存しているのが、途上国の人々です。一説には、20億人が生態系サービスに直接依存する生活を送っており、その大半が1日2ドル以下の収入しかない貧困層と言われています。そして、それらの人の大半が、生物多様性が豊かでありながらも危機に瀕している地域として世界35カ所特定されている生物多様性ホットスポットに住む人々です。

 

   これら途上国の人々は、栄養塩の循環(すなわち農林水産業)、食糧や木材、繊維、エネルギー源(薪)、薬草、水資源の浄化や涵養、気候の調整、防災機能などの調整サービス、宗教・倫理に関する価値観や美意識などの文化サービスに、その生活や生計、生存、文化を直接的に依存しています。つまり、先進国の産業や都市部の住民の多くの場合が経済取引などを介して生態系サービスを享受することが多いことに対して、途上国の特に農山漁村に暮らす人々は、直接自然と関わることにより、生態系サービスを享受しているといえます。
   このように考えると、生物多様性は、MDG7の中のターゲットのひとつではありますが、単にMDG7だけでなく、MDGs全体、そして国際社会全体にとって大きな意味を持つことがご理解いただけるのではないでしょうか。だからこそ、国際社会の持続可能な発展の指針であるSDGsにも、生物多様性の保全が引き継がれているのです。

 

 

止まらない生物多様性の損失

 

   しかしながら、生物多様性の消失が止まりません。現在、生物多様性の基本的な構成要素である生物種は、約20分間に1種という、恐竜が絶滅した際よりも1000倍も速いスピードで失われつつあり、「生物多様性への圧力は増加し続けているおり、生物多様性の損失傾向は改善されていない」といわれています。特に、「貧困層の持続可能な生活、地元の食糧安全保障等を支える生物資源の維持は、地球規模で達成できず、取り組みの前進も極めて低い」とされています。

   実は、生物多様性は、地球上に均等に分布しているのではなく、主に熱帯の途上国を中心とした生態系に集中しているという現実があります。先ほど触れた生物多様性ホットスポットがそのいい例です。途上国の人たちはもちろん、私たち日本人を含む先進国の人々をも支える生物多様性も、その多くは途上国に存在しています。そして、これらの生物多様性が、熱帯雨林などの農地への転換、木材や漁業資源の非持続的(違法の場合も多い)な採取、気候変動の影響などが原因で危機的な状況にあるのが、今日の現実です。
   例えば、コンサベーション・インターナショナル(CI)がプロジェクトを展開する、アンデス山脈の麓に位置しアマゾン川の最上流にもあたるペルーのアルトマヨ森林保護区周辺では、最低限の現金収入しか得られていない人々が、移り住んでいます。主な産業は、コーヒーや放牧などの農業ですが、農業慣行は極めて素朴なものです。しかし、森林が生み出す豊かな水資源、安定した気候、豊かな土壌などの生態系サービスのおかげで、家族を養うだけの食糧や収入は得られています。しかしながら、焼き畑により雲霧林から転換された農地に依存していることもあり、人口の増加に伴って急速に森林が失われてもいます。それに伴って、水へのアクセス、気候の安定性などが失われ始めています。もちろん、豊かな生物多様性も大きな危機に瀕しているのです。

 

 

持続可能な開発に寄与する生物多様性保全

 

   途上国の貧困削減のためには、生物多様性の持続的な保全と利用が不可欠です。生物多様性を保全できれば、生計手段・収入機会の増加・多様化、保険・衛生環境の改善、自然災害や社会不安などに対する脆弱性の緩和が可能となります。これは、直接的に途上国の貧困を撲滅するというSDGsにも寄与します。また、熱帯林のCO2の吸収固定機能の維持、大気や水質の浄化、自然資源や遺伝資源の供給など、地球規模にも便益をもたらします。

   CIが支援を続けてきた、西アフリカ・ギニア森林ホットスポットに位置するガーナのカクム国立公園周辺のコミュニティでは、主要な産業であるカカオ栽培を持続可能な農業に転換していくプロジェクトを通じて、アフリカ・マルミミゾウダイアナモンキーなどの絶滅危惧種の保護を含めた生物多様性の保全はもちろん、コミュニティの生計の向上、CO2の吸収固定による気候変動緩和にもつなげています。また、森林の保全がされることにより、地下水位が回復し、化学肥料や農薬の使用量低下による水質の改善も進むことで、子ども達が水汲みに時間を割く必要がなくなり、学校に通うことが出来るようになるなどの効果もみることが出来ました。私自身、現地を訪れた際、都市部では学校に通うことが出来ない貧困にある子ども達から何度も金銭をねだられ複雑な気持ちになりました。少しでも彼らの生活を助けたいと小銭をあげたくなるのですが、それでは彼らの人間開発につながらないから絶対ダメだと現地NGOスタッフから強く言われたのが今も心に残ります。プロジェクトに参加する村では、真新しい制服を来て元気よく学校に通う子ども達と触れ合うことが出来ました。生物多様性が、子ども達に教育の機会を生み出し、子ども達の未来、ひいては国の未来への投資となっているのです。

   今後、世界の人口増加、経済発展の大部分が途上国で起こることも考えれば、途上国に集中する地球の生物多様性を保全することは、持続可能な発展はもちろん、人類の生存にとって不可欠です。従来は、途上国への国際環境協力は、政府開発援助(ODA)を通じて行われてきました。日本もCOP10で総額20億ドルの生物多様性支援を約束しました。しかし既に世界のGDPの半分以上は途上国が稼ぎだしています。また、マーケットを介した民間セクターの役割が、自然環境と関わる分野でも増大しています。持続可能な発展を実現していくためには、今後は、例えば食糧や工業製品の原材料を中心としたビジネスのサプライチェーンのグリーン化、そこに価値を見いだす消費などバリューチェーンの持続可能性の向上が求められるでしょう。

 

 

日比 保史(ひび やすし)氏 プロフィール

 

㈱野村総合研究所、国連開発計画(UNDP)を経て、2003年4月より、国際NGOコンサベーション・インターナショナル日本プログラム代表。生物多様性保全を通じた持続可能な社会づくりを目指し、国際機関、政府、企業等とのパートナーシップ構築に取り組む。特に途上国における貧困削減に資する生物多様性保全の在り方、気候変動と生物多様性の関連性に注力している。IUCN日本委員会副会長、生物多様性条約GEF7ニーズ評価専門家委員会、JICA社会・環境配慮助言委員会委員、JBIC環境審査役選定委員、The MIDORI Prize for Biodiversity 専門委員会委員、緑の循環認証機構評議員、一般社団モアツリーズ評議員、上智大学、早稲田大学、学習院大学などの非常勤講師、多数の企業のアドバイザー等を務める。著作(共著含む)に「Hotspots Revisited」、「生態学からみた保護地域と多様性保全」、「CSR経営の中に生物多様性保全を組み込め!」「知らなきゃヤバい!生物多様性の基礎知識」「NGOからみた世界銀行」など。甲南大学理学部卒業、デューク大学環境大学院修了。

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