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生物多様性コラム

消費の生態系

ジェームズ・ホイットロー・デラーノ
フォトジャーナリスト

 

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怒りの葡萄」のトム・ジョード: 「何かするのに度胸なんて要らない。どうせほかに何もできないんだ」

 

目に入らず、気に留められることもない何十億人もの人々が、貧困の中で働いている。それは、彼らよりも裕福で、最終的に商品等を手にする消費者が、安価な食料、安価なエネルギー、安価な商品をふんだんに享受できるようにするためだ。そうした裕福な消費者は、安価な物の享受は特権ではなく、当然の権利だと信じて疑わない。裕福な最終消費者のより良くより充実した生活のために、何十億もの人々は重荷を背負わなければならず、彼らに選択の余地はない。ほとんどの消費者は、この資本主義的なマルディ・グラ <カーニバルの最終日> の恩恵が、何の影響もなく永遠に続くはずだと信じている。

 

多国籍企業はかつての植民地会社のように、まるでその土地とそこに住む人々は完全に消耗品であるかのようにして、資源を採取し安い労働力を搾取している。生産コストを最小化し、利益を最大化するという目標が、他のすべてに優先されるようだ。アジアの興隆とともに、国営企業を含む新たなプレーヤー達が登場し、最大規模の商品消費市場となった。苦難の末に得られた人権と環境保護における前進は、急速にかき消されつつある。

 

こうしたアジアの新たなプレーヤー達が、貪欲に自身の経済成長を加速し、自国の環境問題を軽減しながら、さらには ますます要求が拡大する自国の消費者を満足させようとして、資源開発と重工業とをサハラ以南のアフリカ諸国と中南米に輸出していく様子を、私は写真作品として記録し始めた。こうしてサイクルは再び動き始めたのだ。

 

市場の興隆を称えるものであれ、気候変動や環境被害に関する訓話であれ、ほとんどの報道に欠けているものがある。それは、「脱工業化社会における消費者の選択」と、「その選択によって影響を受ける 地球の反対側にある開発途上国(すなわち私が「消費の生態系」と名付けた ‘供給側’)での人々の生活」との間にある、直接的な因果関係を明確にすることである。

 

この問題を生み出しているのは人間だが、可能な解決策における唯一最大の構成要素もまた、間違いなく人間である。知識を備えた消費者は、購入において知性ある選択を行い、悪質なサプライヤーから調達された品物を避け、それによって特定の製造業者に行いを正すよう経済的圧力をかけることができる。知識を備えた消費者は、倫理的なプレーヤーに報酬を与える権利を行使する一方で悪質な事業者に背を向けることにより、遠く離れた家庭の生活を改善する力を持っている。

 

残念ながら、消費者に知識を与えるというこのプロセスは、せいぜいのところ、うまくいったりいかなかったりである。だからこそ私は、消費者と多くの製品の出自を視覚的に結び付けたいと考えた。消費者の世界では、こうした製品はピカピカのきれいなパッケージに包まれ棚に並んでいるだけで、その出自を垣間見せることはほとんどない。

 

 

 

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この取り組みは、ふとしたことから1994年にボルネオで始まった。私はまだアジアに来て日が浅く、英国人博物学者アルフレッド・ラッセル・ウォレスの言葉を読んだばかりで理想主義にあふれていた。ウォレスはダーウィンの同時代人で、自然選択説を共に体系化した人物である。ウォレスは、1860年代にボルネオについて次のように書いている。「あらゆる方向に何百マイルにもわたって、壮大な森が、平野にも山地にも、岩にも沼地にも広がっている」。 1970年代まで、ボルネオの自然はほとんど変わらなかった。しかし、グローバル・メディアの観点から見たボルネオでは、伐採会社が 山や谷や川と同じ名前を持つ無力で概して声なき先住民族から、ひそかに産業規模で資源を取り上げ、ほぼ未加工の丸太を待機する船に積み込み、よそにいる人々の利益のために木材を輸出し始めていたのだ。

 

想像してほしい。ある朝東京の上野公園に入ろうとして、入口で入園を拒否され、愛するソメイヨシノの木々が重機になぎ倒されているのが見えたとしたら。あなたは抗議する。ここは公共の公園で、みんなのものだと。しかし、見知らぬ者が行く手に立ちふさがって、公文書を振りかざす。おそらくそれは、あなたが話さない言語で、あなたが読めない文字で書かれている。この公園はあなたたちのものではない、と見知らぬ者が説明する。実際、あなたたちのものだったことはない、ずっと政府の所有物だったのであり、政府は今度、あなたが聞いたこともない会社に土地をリースすることになったのだと。最後に彼は愉快そうに言う。この土地に立ち入ろうとしたら逮捕させるぞ、でなければもっと悪いことになると。

 

これこそまさに、私がボルネオで出くわした状況である。先住民族であるダヤク族は、先祖たちが千年あるいはそれ以上にわたって狩りをしてきた聖なる森に立ち入ることができなくなっていた。遠く離れた都市の役人が、先祖から伝わる彼らの居住地の所有権を政治的コネのある企業に引き渡したからだ。

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私は、東京からシンガポールを経由してマレーシアのサラワク州 クチンに飛んだ。そして、クチンから大型の水中翼船に乗ってシブに向かった。問題に気付いたのはその際だ。ラジャン川の河口に広がる迷路のような水路の岸に、製材所が並んでいるのだ。煙突群から吐き出される煙が、灰色の空をいっそう暗くしていた。はしけがつながれている船着き場は、全体が廃棄木材で作られていた。切り倒されたそれらの木々はあまりにもおびただしく、どうやらほとんど価値がないために、ただ船着き場の土台として使われていたのだ。クレーンが忙しそうに数百本、いや数千本の丸太を持ち上げては船着き場に積んでいた。同じような船着き場が川上に向かって何十カ所も、破壊されたマングローブの湿地に広がっており、そこで最終的に材木に製材されるのだ。

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シブで船を乗り換え、カピットという辺境の町に向かう魚雷のような高速ロングボートに乗った。川を流れていく丸太があまりにも多く、カフェラテ色の川でボートは船体を傾けながらそれらをよけていた。昔の旅行者は、私よりほんの10年前に訪れた者でさえ、壮大な森から自然に落ちる葉によってジャワティー色に染められた、濃いタンニンのような、しかしはるかに澄んだ水を描写していた。伐採によって熱帯の薄い有機表土と無機質下層土が露出し、降雨によって川に流れ込み、川を完全に沈泥だらけにしてしまった。それは、あまりにも多くの有機表土が流出してしまっているため、たとえチャンスが与えられても森林は再生することができないだろうということを示している。

 

自分が足を踏み入れた場所は、ウォレスが描写したような、世界で最も多様性に富んだ生態系、並ぶものがない自然の二酸化炭素吸収源とは似ても似つかないものだということを悟り始め、沈んだ気持ちでカピットに到着した。私が足を踏み入れたのは、熱帯雨林生態系の全身衰弱、本格的な生態系破壊だった。戸外のカフェにイバン・ダヤク族の男性と座り、ボルネオ中心部にある伝説の熱帯雨林をカピットから見ることができるかと尋ねた。

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「ここにはもう手付かずの森はない」と彼は言った。「見たいならインドネシア国境まで行かなければならないが、そこまではボートで2日かかる」。私は3年後に再びカピットを訪れ、引退した警察官とともに伐採道路をドライブして、本当にインドネシア国境まで行った。彼の言った通りだった。伐採業者はインドネシア国境にまで到達していた。彼らは、海辺から国境のこれ以上進めないところまで、保護が講じられていないありとあらゆる谷、川筋、すべての山頂を伐採していた。もし進めるのなら、間違いなくさらに伐採していただろう。

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サラワク州のより大規模な伐採会社の多くは、実に巧妙である。彼らは伐採会社、製材所、船会社、さらには新聞社まで所有して、情報の流れをコントロールしている。しかし何より巧妙なのは、多くが子会社を持っており、森林が伐採し尽くされたら土地は更地にして、アブラヤシのプランテーションに転換するということだ。もちろん、これらの企業はアブラヤシの精製所も持っている。すべてが、1世代前は先住民族によって生活のために利用されていた土地で行われている。世界の多くの場所と同様、伐採業者たちが最初に目の前に現れた時、サラワクの先住民族たちは自分たちの土地の所有権を持っていなかった。先祖代々受け継がれてきた彼らの土地であることは周辺の者すべてが知っており、それで十分だったのだ。

 

私は、イバン族のロングハウス・コミュニティを個人的に訪れたことが何度もある。日本人と同様、イバンおよびすべてのダヤク族は木に基づく文化を持っている。しかし先祖代々の森は、今では法的に彼らのものではなくなるか、アブラヤシのプランテーションに取って代わられた。ほとんどのダヤク族は、もはやロングハウスを木で作ることができなくなっている。いまや木材は高価すぎるのだ。そのため彼らは、コンクリートでロングハウスを作らざるを得ない。

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こうしてサラワクで、消費の生態系をテーマとし、写真記録によって事実を収集していくというプロジェクトの目標が定められた。なぜなら、私たちの購入がイバン族のような人々にどのような影響を及ぼしているかを、消費者はほとんど知らずにいることに気付いたからである。私たちの大多数は、パーム油(ヤシ油)が使われた製品に接することなく過ごすことは1日たりともできないだろう。私たちは、石けん、シャンプー、食器用洗剤、化粧品、食用油、日焼け止め、シェービングクリーム、ビスケット、スナックケーキ、パイ、アイスクリーム、バイオ燃料、医薬品・・・その他多くのものにパーム油が使われていることに気付いてすらいない。

 

私は5年間にわたり、マレーシアとインドネシアの森林をほとんど伐採し尽くし、その環境的大惨事をアフリカと南米でも再現しようとして積極的に動いている同じ企業に立ち向かおうとしてきた。

 

Photo7そして、私は発見した。私たちの生活をより豊かに、より便利にしてくれる他の品々も、消費者の目には入らず、気に留められることすらないということを。そして、現地コミュニティに対して倫理的に振る舞わず、あるいは環境に対し責任ある態度を取っていない企業があるということを。たとえばアマゾンの石油採取、ドミニカ共和国の砂糖生産、あるいはグアテマラのコーヒー生産がその例である。実のところ世界規模のパターンがはっきりと見え始め、私は、写真を通して原因と結果の点と点を結ぶ必要があると考えた。

 

中国の空気と水は、スマートフォンやテレビなどの安価な製品やハイテク製品を製造するために汚染されている。利益は大きいが、それを可能にするために健康を犠牲にして代償を支払うのは、多くの場合地元のコミュニティである。移民労働者は家族を残し、貧困から家族を抜け出させることを願って米国やEU諸国への危険な移住を企てる。労働者が負傷し、時に手足を失い、働くことができなくなると、彼らを頼りに生きている愛する家族もまた、補償のない困窮に突き落とされることになる。

 

また私は、グローバルメディアにおいて、これらすべての問題が互いに関係のない別個の問題であるかのように描写されていることに気付いた。私は「消費の生態系」という、この一連の写真作品において、「製品を生産する貧しい労働者」「価値の高い土地にたまたま立地するコミュニティの犠牲」そして「幸運な消費者たちの生活を充実させるために作られた様々な商品」が、同じ生態系の中で関係しあっているということを、ひとつにまとめて示すつもりだ。ここから会話が始まり、より倫理的な消費の生態系を生み出すことについて考えるきっかけとなればと思う。そしてそのためにはまず、私たちは率直に問題を見つめる必要がある。

 

 

Photographs by James Whitlow Delano

 

 

 

ジェームズ・ホイットロー・デラーノ氏 プロフィール

 

ジェームズ・ホイットロー・デラーノは20年以上にわたりアジアに在住し、ドキュメンタリーの語り部として自身の捉えた事実を写真作品として視覚化、<フォト・エビデンス>として収集し続けている。彼の作品は国際的にも高く評価されており、中国、日本、アフガニスタン、ビルマ(ミャンマー)等で制作した写真作品に対し、アルフレッド・アイゼンスタット賞(コロンビア大学、ライフマガジン誌)、オスカー・バルナック賞(ライカ)、ピクチャー・オブ・ザ・イヤー・インターナショナル(国際最優秀写真賞)、全米報道写真家協会(NPPA)フォトジャーナリズム大賞、写真雑誌PDNによる賞等、多数の賞が授与されている。デラーノ氏の最初のモノグラフ作品集「帝国:中国の印象(Empire: Impressions from China)」と、日本についての作品集「マンガ王国 日本(Japan Mangaland)」は、ヨーロッパのライカ・ギャラリーにおいて巡回展示されている。このうち 「帝国」は、個人作品として初めてミラノ美術館トリエンナーレ展で展示されたものである。ホスピスで撮影された写真のチャリティ作品集「慈愛のプロジェクト/いのち(The Mercy Project / Inochi)」は、PX3ゴールド・アワードとコマーシャル・アート優秀作品賞を受賞。彼の作品は、ヴィサ・プー・リマージュ(Visa Pour L’Image)、アンコントル・ダルル(Rencontres D’Arles)等の世界的なフォトジャーナリズム・フェスティバルの他、ドキュメンタリー写真の国際的プラットフォームであるノーデルリヒト(Noorderlicht)、および同プラットフォームによる「砂糖をめぐる甘くて酸っぱい物語」プロジェクト(“Sweet and Sour Story of Sugar” project)で発表され、また国際的な写真誌において広く紹介されている。彼の最新のモノグラフ作品<フォト・エビデンス>「黒い津波:Japan 2011(Black Tsunami: Japan 2011)」は、日本を襲った津波と核施設事故を記録したもので、2013年に発表された。デラーノ氏はピュリッツァー・センター・オン・クライシス・レポーティング(Pulitzer Center on Crisis Reporting)の助成を受けている他、2014年には、熱帯雨林の崩壊、先住民の人権侵害に関する作品で、フランス、サンブリューにおいて開催されたフォトレポーター・フェスティバルにて助成金を授与された。2015年、デラーノ氏は、インスタグラムに「日々の気候変動(Everyday Climate Change)」のフィードを作成し、6大陸で起こっている世界的な気候変動についての記録を続けている。

 

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