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家紋

Origami生まれながらにして誰もが名字を持っているように、日本では、どの家にも「家紋」が伝えられています。「家紋」とは、文字通り、“家系”や“家柄”を表す“紋章”で、家族や親戚など血縁者が共有するシンボルマークです。平安時代に公家や貴族が好みの文様を牛車に付け、自らの名前の代わりに、持ち物の所有性を明らかにしたことが「家紋」の始まりだとされています。

 

その後、武家社会になると、「家紋」は、戦の場において敵味方を区別する“旗印”、あるいは自らの存在をアピールする“目印”として、武士には不可欠のものになります。室町時代の末から戦乱の世が続くと、兄弟や親戚による骨肉の戦いも増え、それにともない、一族の「家紋」は細分化され、様々なバリエーションが作られていきました。この時代の「家紋」は、戦場で目立つこと、分かりやすいことが優先され、遠目からでも識別できるシンプルな意匠が特徴でした。

 

天下泰平となった江戸時代、「家紋」は、もはや戦場の目印である必要性はなくなり、身分制度の中で、家の格を表す“権威の象徴”となります。衣服、武具、食器など小さなスペースにもあしらわれるようになった「家紋」は、装飾性に比重が置かれ、優美さと洗練の度合いを次第に深めていきます。そして17世紀の終わり、絢爛と町人文化が花開いた元禄期、「家紋」もまた華やかに発展し、庶民に広がっていきます。当時、一般庶民は、名字帯刀を禁じられていましたが、「家紋」は自由に所有することができました。ただし武士と同じ「家紋」は使えなかったため、武士の紋を真似てアレンジしたり、自分好みのオリジナル文様を創造したり、様々に工夫を凝らした「家紋」が多彩に生み出されました。シンメトリーの均整のとれた意匠、丸で囲んだ構図など、いまに続く「家紋」のデザインは、庶民の自由な発想で多彩に展開された元禄期が契機になったのです。

 

森羅万象、あらゆる素材を図案化している「家紋」の数は、2万を超えるといわれています。膨大な数があるなかでも、多くの家に使われている代表的な紋が、「(ふじ)」「(きり)」「片喰(かたばみ)」「鷹の羽」「木瓜(もっこう)*」「(つた)」「沢瀉(おもだか)」「(かしわ)」「茗荷(みょうが)」「(たちばな)」です。これらは“十大紋”とも呼ばれていますが、「鷹の羽」と「木瓜」を除くと、いずれも植物の花や葉がモチーフになっています。この十大紋に限らず、「家紋」の多くは、月や星、雲や雷、山や浪、動物や鳥など、自然物が用いられています。“家”を象徴する「家紋」に、自然由来の多様なものを好んで取り入れてきたのは、自然を尊び、自然と同一化して生きていくことに喜びを感じできた、日本人ならではの独特の自然観、自然への深い愛着の念が影響しているのかもしれません。
*御簾(みす)の懸け際を飾る帽額(もこう)が文様の由来とされています。瓜(ウリ)の切口の図案化説は、帽額を「木瓜」と記したことから生じたといわれています。

 

簡素にして精緻、大胆にして繊細な表現で多彩に意匠化された「家紋」は、日本人の美意識とアイデアが融合した、世界に誇れる“和のデザイン”です。事実、19世紀末に欧州で起こった日本ブーム、“ジャポニズム”において、浮世絵を筆頭に高い評価を受けた日本の美術工芸品のひとつに「家紋」もありました。身近な自然物を題材とする発想、平面的な構図と単純明快な図案は、それまでの西欧にはない表現手法として、多くの芸術家に様々なインスピレーションを与えたといわれています。

 

現在、冠婚葬祭以外ではほとんど触れる機会がなくなってしまった「家紋」ですが、祖先が創造した日本固有のかけがえのない伝統文化を、これからも大切に次の世代へと伝えていきたいものです。

 

 

(沼田 充)

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