English

歴代受賞者

2010年 The MIDORI Prize for Biodiversity 受賞者

エミル・サリム

エミル・サリム
インドネシア
インドネシア大統領諮問会議 議長
元インドネシア人口・環境大臣

プロフィール

サリム博士(1930年生まれ)は、インドネシア国内の環境政策形成や実施、さらには生物多様性に関するNGOの創設などに取り組んできただけではなく、環境保全と経済の両立に関する数々の国際会議で先導的な役割を果たしてきた。

サリム博士は、米カリフォルニア大学バークレー校で博士号を取得後、インドネシア大学で教鞭をとり、スハルト政権下の開発政策に徐々に影響力を持つようになった。1970年、スハルト政権下の開発経済の中核を担っていた国家改革担当大臣に指名されたことを皮切りに、その後はインドネシアで初の環境大臣に就任、環境管理法の制定や環境影響管理庁を創設する等、生物多様性の保全を含めた環境行政の礎を構築し、経済発展と環境保全を両立させる環境政策を実行してきた。

国際面では、世界に先駆けて開発計画に環境配慮を統合させ、開発に環境の視点が盛り込まれるよう尽力したことが評価され、数々の国際会議で重要な役割を担ってきた。

ASEAN環境大臣会合や政府高官会合において常に議論をリードし、サリム博士が先駆者となってアジアの途上国の意見が世界に発信されるようになったことは大きな功績である。1994年にはブルントラント委員会を模して設立された国連「森林と持続可能な開発に関する世界委員会」の共同議長に就任し、危機に瀕する森林の保全に関して強く「持続可能な開発」の必要性を訴える報告書「われらの森われらの未来(Our Forests Our Future)」を1999年にまとめ上げた。さらに、2002年の「持続可能な開発に関する世界首脳会議準備委員会」では委員長を務めた。

サリム博士が環境大臣としての任期終了後も各種普及啓発活動に尽力したことにより、多数の大学に環境問題研究センターが設立され、NGOが組織されるようになった。その中の一つとして、1994年にインドネシア、日本、米国の政府間でインドネシアにおける生物多様性の保全を目指して創設された「インドネシア生物多様性財団(Indonesian Biodiversity Foundation(KEHATI))」がある。サリム博士が理事長を務める同財団は、インドネシア国内において現在も積極的な活動を展開している。

最近では、SATOYAMAイニシアティブの推進やUN-CECAR(国連大学気候及びエコシステムの変動適応研究に関する大学ネットワーク)にも取り組み、世界にメッセージを発信し続けている。

以上の理由により、これまで国内外の政策意思決定に多大な貢献をしてきたことはもちろんのこと、現在でも生態系の保全と経済の両立に向けて、数々のメッセージを世界に発信し続けていることがThe MIDORI Prize for Biodiversityの趣旨と合致することから、受賞にふさわしいと評価された。

※ このプロフィールは2010年に作成されたものです。

主な経歴

1970〜1972年
国家改革担当大臣及び国家計画会議副議長
1978〜1983年
開発管理・環境担当大臣
1983〜1993年
人口・環境担当大臣
1983〜1987年
国連「環境と開発に関する世界委員会」委員
1987年
第3回ASEAN環境大臣会議の議長としてASEAN環境プログラムIIIを決定
1992年〜
インドネシア持続可能な開発基金理事会議長
1993〜2003年
インドネシアエコラベル協会会長
1994年〜
インドネシア生物多様性財団理事会議長
1994〜2003年
国連「森林と持続可能な開発に関する世界委員会」共同議長
1995〜1999年
国連「持続可能な開発ハイレベル諮問会議」共同議長
2000〜2002年
第10回国連持続可能な開発委員会(CSD)議長
2001〜2002年
国家経済評議会議長
政府経済問題顧問
国連「持続可能な開発に関する世界首脳会議」準備委員会議長
2007〜2009年
インドネシア大統領諮問会議 メンバー
2010年3月〜
インドネシア大統領諮問会議 議長

主な受賞歴等

1973年
ビンタン・マハプトラ賞(インドネシア政府)
1982年
オランダ王国金約櫃勲章(コマンドール)
1990年
ポール・ゲッティ賞(野生生物保護、WWF)
2005年
ザイヤード賞(カテゴリーIII:社会に変革をもたらす環境活動部門、アラブ首長国連邦、ザイヤード国際環境財団)
2006年
ブループラネット賞(日本、旭硝子財団)
English