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生物多様性コラム

人と自然の調和:新たなビジネスモデル

グレッチェン・C・デイリー
スタンフォード大学 教授 (米国)
The MIDORI Prize for Biodiversity 2010 受賞

次に小惑星が地球に衝突するまで、他の何よりも人類こそが、全ての生命の将来を決定づけていくことになるでしょう。人類は、多くの微小生物を絶滅させ、また他の生物の進化の過程を劇的に変える力を持っています。私たちは、地球に共生する他の生物の健康はおろか、人類の健康との密接な関わりについてさえも十分に考慮することなく、この力を行使しています。今後100年間のあいだに「私たち人間の力が及ぼされるなかで」、世界の動植物種のおよそ半分が絶滅に追い込まれるだろうといわれています。
 
そうしたことが具現化することで、これまでの伝統的な手法ではうまくいかないだろうということがわかりはじめてきました。自然保護区は、あまりに範囲が小さく、数もほとんどなく、隔絶されています。自然保護区のこの状態はおそらくこれからも続くと思われますが、長期的に地球の生物多様性のごく一部(おそらく種のうちほんの5%)を維持するためだけでなく、社会に対する生命維持サービスを持続させていくために、変革できないほど厳しく管理されています。自然保護を継続的かつ成功裏に行っていくためには、自然保護のアプローチを、人間活動という海において、経済学的にも文化的にも魅力的な、共有地(コモン=プレイス)にしていかなければならないのです。
 
将来、市民、政府、企業が自然資本の価値を認識し、世界的に力強いビジョンが出現し、地球の土地、水、生物多様性においてそのビジョンが具現化されれば、人間の健康が支えられ、こうした価値観が意思決定にも日常的に組み入れられるようになります。
このビジョンを具現化するには、世界の生態系を自然資本として認識することが必要です。生態系が適正に管理されれば、「生態系サービス」といわれる絶え間なく続く生命の維持に必要な恩恵がもたらされます。日常生活における意思決定において自然資本の主流化をおこなうとき、生態系サービスの評価を、効果的な政策と金融のメカニズムに変えていくことが必要になります。大規模には問題は解決されていません。他の資本形態と比較すると、多くの重要なケースにおいて自然資本は十分理解されておらずほとんどモニタリングもされていないために、急速な悪化が進んでいるという重要な課題が残っています。生態系サービスの重要性は、2004年インド洋での津波や2005年のハリケーン(カトリーナ)のように、その損失によってのみしか認識されていないということが多いのです。自然資本とそこから生じる生態系サービスは、政府、企業、市民によって一般的に過小評価されており、実際には全く考慮されていないこともあるのです。
 

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しかし近年、自然資本の価値の明確化、意思決定における主流化のための取組にまつわる機運が高まっています。日本における里山の景観は際立って重要なモデルです。そこでは農業、林業、畜産業、漁業など多様な活動が、人間と環境双方の健全性が維持できる方法で、工夫され維持されています。2008年、神戸において開催されたG8環境大臣会合で日本政府が発表された「SATOYAMAイニシアティブ」は、人と自然とを調和させ、伝統的で文化的な実践方法と生物多様性にやさしい里山の特性の両方を活性化させる非常に重要なコミットメントを示すものです。SATOYAMAイニシアティブは人間と自然の持続可能な相互関係を再構築し、食糧、水、エネルギー、気候、健康における安全性を維持しようという取り組みの推進に必要とされる世界的なリーダーシップを示しています。また日本は、生物多様性条約第10回締約国会議(COP10)を主催され、保全と人類の発展における重要かつ画期的な歩みを進め、世界をリードなさったのだといえるでしょう。
 
過去10年間にわたり、中国もまた自然資本の回復のために大きな投資を行ってきました。その総額は一千億米ドル以上になります。こうした投資は、森林や草地の回復や、洪水や砂嵐からの人々の保護、飲料水源・灌漑水源の改善、効率的な水力発電の維持、より持続可能な農業、また人間の健康に関するその他の局面を発展させるためにあてられました。この他、示唆的な成功モデルが、世界の主要地域全てにおいて顕在化してきています。
 
今、取り組むべきことは、こうしたモデルを再現し、スケールアップすることです。このためには、3つの極めて重要な活動領域におけるイノベーションが必要です。まず第1に、自然資本を評価する新たなツールとアプローチを開発し、その評価をプランニングと政策に組み入れます。自然における投資に対するリターン(生態系サービス)を確固たるものにするとき、科学界は、政策決定者がこのリターンを定量化し予測するのを手助けする必要があります。第2に、主要資源決定においてこうしたツールの持つ力を、広く伝達可能な示唆的な成功モデルにおいて、デモンストレーションします。自然資本をビジネスや政府計画に組み込み、広範に進展させるためには、こうしたデモンストレーションは再現とスケールアップのためにデザインされるべきです。第3に、世界各国の重要な機関のリーダーの方々に、こうした成功の影響を最大化していただき世界的に強い影響を与えていただくこと、そしてこれまでの流れをがらりと変えるような抜本的な変革が必要です。
 

新たなビジネスモデル

 
こうした3つの取組を進展させるにあたって、私たちは何からはじめればよいのでしょうか?どの種と生態系が人間の健康に必要なのかについて、人間はどう考えることができるのでしょうか?月で幸せな日常生活を始めようとすることを想像するのも、一つの方法です。奇跡的に、月に地球と同様の大気や気候など、人間生活をおくるうえで基本的な条件が整っているものと仮定してください。あなたの親族と友達を月に招待したあと-大きな疑問が生じます。地球にいる数百万の種のうち、どの種をあなたと一緒に連れて行く必要があるでしょうか?
 
この問題に体系的に取り組むとき、あなたはあらゆる種の中から、直接、食べ物、飲み物、スパイス、繊維、木材、医薬品、産業製品(ろう、ラック、ゴム、石油など)などを最初にお選びになるでしょう。この選り抜かれたリストにすら、数百あるいは数千の種があげられるでしょう。宇宙船は、あなたがリストのトップにあげた、生活を支えるのに必要不可欠な種を積み込む前にいっぱいになってしまうでしょう。大事なものはどれなのか?誰にもわかりません。おおよそいくつ程度の種が人間生活を維持するために必要なのかすら、誰にもわからないのです。
 
このことから、直接的に種をリスト化するよりも、あなたが月のコロニーで必要とする生命維持機能をリスト化しなければならないことがわかります。そうすることであなたは、生命の維持に必要な種の種類と数の見当をつけることができるでしょう。最小限、一緒に宇宙船にのせるには、私たちが恩恵を受けている生態系サービス全体を供給できるような種を含めておかねばなりません。これらは、生態系サービスにおいて4つに分類されます。
 
  • 食糧、水、木材、繊維などの物品
  • 気候を安定化させ、谷や海岸線を氾濫から保護し、土壌の肥沃性を回復させ、水質を保全または改善する生命維持サービス
  • リクリエーションを行うことができ、景観に配慮した、教育的なコミュニティと精神的な機会のための生活充実サービス
  • 医薬品と作物の改良のための遺伝的多様性といった将来のための選択肢
コミュニティ、政府、ビジネスのリーダーはこの枠組みを利用し、自然資本の価値を意思決定に組み入れ始めています。
 
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その初めての試みを推進するため、自然資本プロジェクト(The Natural Capital Project)は信頼のおけるツールとアプローチを創出し、インベスト(Integrated Valuation of Ecosystem Services and Tradeoffs, InVEST, 生態系サービスとトレードオフについての総合評価)というソフトウェア・システムを開発しました。インベストは、将来の選択的なシナリオのもとで、今日、生態系サービスによって提供されているものを定量化するツールです。このツールを用いて選択的なシナリオのもとで生態系サービスの配送、分配、経済的な価値をモデリングしマッピングすることで、政策決定者は政策の潜在的な影響を視覚化し、環境・経済・社会における利益間のトレードオフと互換性を明確化することが可能になります。
 
第二の取り組みを推進し、理論を現実世界の政治や行動で実践することによって、様々な国や世界のセクターの政策決定者は、気候、水、エネルギー、インフラ開発等、人間の健康に関する様々な様相における資源の決定にこのツールを利用しています。 例えば中国では、先々までの目標を定めた投資を行うことで重要な自然資本を確保し、富を沿岸部から多くの生態系サービスが由来する内陸部へ移転させることで貧困の緩和を行うという二つの目標のもとで、インベストは土地利用計画においてテストされ、利用されつつあります。中国政府は、洪水管理、砂嵐からの保護、水力発電の効率化 、 灌漑用水の供給、より生産性の高い農業とエコ・ツーリズムのため、特に生物多様性と生態系の保護を目的としています。さらには、地方家庭の収入増加を目的として、地方家庭の土地利用パターンと農業生産をより持続可能なものにしながら、 同時に地元の経済構造を変えようとしています。中国における生態系サービスの投資は甚大なものになる可能性があります。新たに国土の25%にあたる一連の保護区が計画されています。
 
こうしたアプローチのパワフルなデモンストレーションはラテンアメリカにおいて急速に発展しています。支払システムを介して自然資本の受益者とサプライヤーをリンクさせる「ウォーター・ファンド(Water Funds)」が設立されようとしています。 ウォーター・ファンドにおける水の消費者(市の水道局、水力発電施設、灌漑農業者、飲料企業など) はファンドに支払をし、そのファンドは水質と水供給を確保するため、上流の水域管理に投資されます。 投資の種類は、天然林とその他の植生の保護と回復、放牧地の囲い込み、優れた農法の実践、能力開発と教育など、多岐にわたります。こうしたファンドのデザイン、実施、モニタリングはラテンアメリカにおける32の主要都市におかれた「ウォーター・ファンド・プラットホーム」によって標準化されつつあります。
 
高潮や海面上昇からの沿岸部の保護、持続可能な漁業、リクリエーションとツーリズム、波エネルギー等の主要なベネフィットを目的として、海洋においても新たなデモンストレーションが行われつつあります。
 
また同時にこうした取組は、農業、林業、鉱業、エネルギー、輸送、水供給、都市開発など、多彩なセクターに広がりを見せています。コロンビアにおいては(農業、林業、鉱業、輸送、エネルギーといったセクターにおいて)、自然資本の価値をあらゆる資源のライセンス供与やミティゲーション(人間活動によって発生する環境への影響を緩和または補償する活動)に組み入れた、最も包括的なアプローチが採用されています。
 
今日私達が目にしているのはほんの始まりでしかありません。こうしたムーブメントを前進させ、21世紀と未来における保全と人類発展の調和のための新たなパラダイムを創出するリーダーシップが不可欠です。将来の世代は、日本そして他の国による、持続可能な世界のための革新の実践と真の変革のデモンストレーションを期待しています。
 

 グレッチェン・C・デイリー氏プロフィール

 
スタンフォード大学生物科学学部にて学際的な研究を行っているデイリー博士(1964年生まれ)は、これまで社会・経済活動によって破壊されてきた環境に対して、経済的な価値を見いだし、生態系サービスという概念からその保全に貢献してきた。包括的な生態系サービスの研究、国際的な研究枠組みへの貢献、企業、地域、そして国への政策提言にいたる幅広い分野で生物多様性保護を継続的に提唱•実践してきた生物多様性の持続可能な利用に関する研究分野の第一人者である。

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