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生物多様性コラム

霊長類からみた生物多様性

湯本貴和
京都大学霊長類研究所 教授

 

はじめに

 

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現在、世の中に知られている生物種は150万種あまりとされる。ほぼ半数が昆虫で、約25万種が被子植物である。われわれになじみが深い鳥類は約1万種、哺乳類は4500種ほどである。その哺乳類のなかで約220 種といわれる霊長類は、数としては地球上の生物多様性のわずかな部分を占めるに過ぎない。しかしこの霊長類は、われわれにとって興味が尽きない存在だ。なぜならば、われわれヒトが霊長類に属するからである。彼らを研究すること、それは「ヒトはどこからきて、どこにいくのか」というわれわれにとって究極の問いに迫ることである。

 ひとことで霊長類といっても、夜行性で体重100gに満たないガラゴやメガネザルから、ヒト科のゴリラ、チンパンジー、ボノボ、ヒトまで含まれている。ゴリラやヒトでは個体によって200kgを超える。ちなみに人間界では、ギネスブックで世界一の体重記録は560kg。霊長類史上で、彼は最も重かったといえる。この体サイズと同様、食性や社会構成にさまざまな違いがみられ、それが霊長類全体で比較研究を行なうという大きな動機付けになってきた。

 

雑食について

 

 哺乳類の歯は、その動物が何を食べているのかを理解するのに役立つ。ウシやウマのような草食獣はすり潰す機能をもつ臼歯が、またトラやオオカミのような肉食獣は切り裂く機能をもつ犬歯が発達している。霊長類の歯は、臼歯も犬歯もそれなりに役割を果たしていて、雑食に適した多機能型といえる。

 小型の霊長類は昆虫食中心で、他にもコロブス類という葉食に特化したものや、南米のサキ類のように種子食に依存するものもいるが、概して霊長類は葉、果実、種子、昆虫、キノコなど、森のさまざまな品目を食べるのが大きな特徴だ。アジアの海岸に住むカニクイザルは、葉や果実という霊長類の基本食に加えて、その名のとおり甲殻類や貝類、ときに魚類を食べることが知られている。ニホンザルでも、地域と季節によって海藻や貝を食べる。

 多くの霊長類は果実が大好物である。アフリカの熱帯林に住むチンパンジーやボノボ、東南アジアの熱帯林に住むオランウータンやテナガザルは果実を好んで食べる。チンパンジーと同じ熱帯林に住むゴリラも、熟した果実が豊富な季節は果実を好む。しかし、果実が乏しい季節になると、チンパンジーは遠くまで果実を探しに行くが、ゴリラは林床に生える草本に食物をシフトさせる。この草本食が常態化してコンゴ盆地東端の山岳地帯でアザミやイラクサを食べて暮らすのが、マウンテンゴリラである。

 以前ヤクシマザルを追跡していたころ、サルは次から次へ違った食物を探すことを知った。霊長類は朝起きてから夜寝るまで、移動する、食べる、休息するという行動を繰り返す。6月にはサルの大好きなヤマモモが実る。ヤマモモは甘くて、われわれにとってもおいしい果実だ。サルはヤマモモだけを食べるかというと、そうではない。移動するたびに、葉を食べ、昆虫を拾い喰いして、ヤマモモ以外を食べようとしているようにみえる。

 なぜ、好物を食べ続けないのだろうか。誰でも考える説明は、栄養を万遍なく摂る「栄養バランス説」であろう。しかし、パンダはササばかり食べるし、コアラは特定のユーカリノキの葉しか食べない。基本的に動物は偏食なのだ。その限られた食べ物で栄養が賄えるような代謝系が身体に備わっている。しかし、多くの霊長類には、そしてわれわれヒトにはそのような代謝系が発達せず、さまざまな栄養素を直接摂り入れなくてはならない。

 植物に含まれている毒を摂りすぎないためだという「毒蓄積説」もある。もともと野生の植物は、動物に食べられないために化学物質、すなわち毒で武装している。草本では強毒をもつものがいるが、樹木ではタンニンやフェノール類のように、同じ成分を多量に摂取すると症状が現れるタイプの毒をもつものが多い。具合が悪くなるほど毒がたまらないように、同じメニューを避けるという説は妥当だ。

 しかも、ヒトは毒を加減して用いることによって、病原体や寄生虫と闘う薬として利用している。ほとんどの人間社会は、独自の薬学をもっている。長い自然との付き合いの歴史のなかで、身の回りの植物から薬効のあるものを選び、病状に合わせた処方箋を伝えている。薬用植物を利用するのは、ヒトだけではない。チンパンジーは、体調の悪いときに特定の植物の髄をしがんで苦い汁を飲んだり、体内寄生虫を駆除するために表面のざらざらした葉を飲み込んだりといった行動が知られている。

 

脳容量の拡大

 

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この霊長類のなかで、ヒトは並外れた大きさの脳をもっている。この脳の発達とそれに伴う知性の進化こそが、ヒトをヒトたらしめていることは疑いがない。脳はエネルギーを著しく消費する臓器だ。われわれの脳は、重さは体重の2.5%程度であるにもかかわらず、休息時に20%のエネルギーを消費する。

 ヒトはチンパンジーやボノボとの共通祖先から分かれて、4段階で脳容量が増加したとされている。この変化には食物の革新が伴ったと考えるのが、リチャード・ランガムの「火の利用仮説」あるいは「料理仮説」である。植物や肉を切り刻み、加熱して柔らかくすることで、消化する時間が著しく短縮され、消化に使うエネルギーが節減される。そのため、同じ食品からでも、料理されたもののほうが生のものよりも得られるエネルギー量が多くなるのだ。

 実際、野生の霊長類が食事にかけている時間は途方もなく長い。アフリカの類人猿は、一日のうち合計5時間以上を食物の咀嚼に要し、さらに食後に消化のため2時間以上の休息をとっている。チンパンジーは肉を食べるが、生肉を噛みしだいて飲み込むのに時間がかかる。料理によってヒトの祖先は、この長い労働から解放されたわけである。

 ランガムによると、脳容量が急増した4段階のうち、まず500〜700万年前に森林性の類人猿(脳容積350~400cm3)がアウストラロピテクス(脳容積約450cm3)としてサバンナに進出したとき、われわれの祖先は植物がデンプンを蓄えている球根や地下茎を掘りだすことを学び、葉よりも高品質の食物を得るようになった。つぎに約200万年前にアウストラロピテクスからホモ・ハビルス(化石計測で脳容積612cm3)に進化したときの大きな変化は、肉食だとしている。ホモ・ハビルスの骨の近くから、何度も使われたあとが残る石槌や拳大の石球が発見された。これらは獲物を捕らえ、その肉を叩いて柔らかくした痕跡とされる。

 180万年前に最初のホモ・エレクトス(脳容積約870cm3)が出現するころから、火を日常的に使い始めた。燃焼エネルギーの利用が始まったのだ。火は天敵である肉食獣を追い払い、地上で安心して寝ることにつながった。ホモ・ハビルスまでは樹上で寝る生活のため、木登り能力を保持していたが、ホモ・エレクトスでは完全に地上生活に適した形態となった。その後、さまざまな料理法の工夫が加えられ(つまりエネルギー摂取効率を上げながら)脳は拡大しつづけ、100万年前には平均脳容積は950cm3に至った。4番目の顕著な脳容量の拡大は80万年前以降のホモ・ハイデルベルゲンシスの出現であり、脳容積は1200cm3を占めるようになる。このときの技術革新は不明だが、狩猟手段の能率化かもしれないという。

 

おわりに

 

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霊長類は生態系のなかで、さまざまな働きをしている。小型の霊長類は昆虫や果実を食べ、大型の猛禽や肉食獣の餌になる。大型の類人猿は動くたびに林床を撹乱し、森林の再生を促す。霊長類に種子散布を依存している植物も多い。霊長類に食べられる果実の外見は緑色から熟すと赤や黄、オレンジ色に変わり、果肉は糖度が高くて甘い。被子植物は、ハナバチなどの昆虫によって花粉を媒介させ、鳥類や霊長類に種子を運ばせることによって現在の繁栄を勝ち得たとされる。その意味で霊長類は生物多様性にかなりの貢献をしてきた。また、その一員であるヒトの雑食あるいは薬利用という性質は、人間独特のかたちで山野河海の生物多様性を認識し、それを価値づけることにつながってきた。

 もともと大型動物である類人猿は、環境を改変する力をもっている。そのなかで、ヒトは並外れた知性から強大な生態系改変力を持ってしまった。地質時代として、現在は人間が地球を大きく変化させた「人類世」と名づけられる。

われわれはこのまま生態系と生物多様性を食い潰してしまうのか、それともホモ・サピエンスの名前にふさわしく賢明な道を選んでいくのか。まさしく「生物多様性の10年」は、それを左右する分岐点となるのであろう。

 

※写真は上から

・コンゴ民主共和国のボノボの群れ。倒木の上で休息している

・グルーミング(手繕い)をしているボノボの雄たち

・森林で調査中の著者(左)

 

 

 湯本貴和(ゆもとたかかず)氏プロフィール

 

 

1959年徳島県池田町(現三好市)生まれ。京都大学理学部卒、同大学院修士および博士課程(植物学専攻)修了。理学博士。神戸大学助手、同講師、京都大学助教授、総合地球環境学研究所教授を経て、現在、京都大学霊長類研究所教授。「野生生物と社会」学会会長。

主な著書に「屋久島—巨木と水の島の生態学」(1995講談社)、「熱帯雨林」(1999岩波書店)など、編著書に「世界遺産をシカが喰う」(2006文一総合出版)、「シリーズ日本列島の3万5千年—人と自然の環境史(全6巻)」(2011文一総合出版)など。

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