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生物多様性コラム

The Web of Life - グリーンマップ・システムの物語

ウェンディ・ブラウアー
グリーン・マップ 創設者、代表

 

グリーンマップ・システムの物語は、1989年に始まった。当時私はアジアを再訪し、ちょうどインドネシアを探索していた。ある晩、ジョグジャカルタのアラブ・ナイトマーケット(Arab Night Market)で、私は、囚われのオランウータンに目が釘付けになった。かわいそうなほど小さな檻に閉じ込められた彼女は、長い腕を檻の外に突き出し、落ち着きなく手のひらで小石を投げ上げては受け止めていた。その顔に浮かぶ悲しみに胸を突かれた私は、無言で、私の気遣いを伝えようとした。するとオランウータンは、そのなめらかな丸い小石を私に投げてきたのだ。その小石を受け取ったことが、人生のターニングポイントとなった。

 

その時は、種を超えたこの交流がムーブメントの発端となり、いまや世界中の数百のコミュニティで環境と生物多様性に影響を及ぼすことになろうとは思いもよらなかった。しかし、ニューヨークに戻った私は、廃棄物と種の絶滅をもたらす製品をデザインし続けるのではなく、この複雑な世界に対する理解を促すような製品やサービスをデザインするための努力を始めた。オランウータンの小石が私を動かし、そして私は、このエネルギーを分かち合う方法を見つけようとした。めまぐるしく変化する周囲の世界を見つめるうち、実用的であると同時に啓発的でもある答えが具体化し始めた。

 

「ひらめきの瞬間」は、1992年地球サミットの準備会合が開かれた際にやってきた。本会合はリオで開催されることになっていたが、ニューヨークの国連本部に各国指導者、代表団、NGOの人々が集まり、アジェンダ21を支える原理を策定する作業に当たったのだ。私は、彼らがニューヨークを探索しながら、持続可能性に向けた進歩を感じ取ってくれるだろうかと考えた。コミュニティガーデン、ファーマーズマーケット、オーシャンビーチ、エコロジーセンター、地域の生物多様性の活力を高めるプログラムを、どのように紹介したらいいだろう?と。

 

私は、誰にでも理解でき、資源の無駄がない方法で、これらの場所すべてに脚光を当てる何かを作りたかった。そこで、自分たちの街の豊かさをグリーンな視点から説明するユニークな地図を作り、地域の持続可能なコミュニティ開発を親しみやすい形で紹介するとともに、楽しい体験をしてもらえるようにしようと決めた。その日のうちに、この地図の名前が決まり、無償の印刷が提供され、協力してくれる専門家たちのネットワークができた。そして一気に出来上がり! グリーンマップの第1号は、たちまち成功を収めた。

 

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すぐに、ほかの都市の人々もグリーンマップを作りたいと言い始めたので、導入しやすいツールと共通のシンボルセットを開発することになった。愛と緊急性に駆られて、グローバルにつながった地域主導のムーブメントが動き出したのだ。

 

到達範囲も多様性も年々拡大し、今日、非営利団体グリーンマップ・システムは、プロジェクト数900の大台に近づきつつある。市の職員、社会起業家、NPO、大学、若者が力を合わせ、65ヵ国の都市、町、キャンパスに影響を及ぼしている。それぞれのグリーンマップ制作チームは独自のビジョンとプロセスを持っているが、すべてのマップに共通するのは、自然、持続可能な生活、文化・社会に関連する場所を示すグリーンマップアイコンだ。世界的に評価され、持続可能性に対する私たちの理解とともに進化するこれら170のアイコンには、ポジティブなものもネガティブなものもあるため、マップ作成者たちは地域が直面する課題にも、そして資産にも脚光を当てることができる。

 

図4_GM_JP.png私が気に入っているアイコンのいくつかは、京都にある美しい仏教寺院、法然院でのワークショップでデザインされたものだ。「特別な木(Special Tree)」というアイコンのコンセプトは、まさしく法然院の庭から得られたもので、そこでは3色の聖なる椿が花開いていた。風に舞う落ち葉は「コンポスト(Composting)」のシンボルとなり、庭でスケッチした小鳥も「野鳥・生物観察(Wildlife Watching Site)」を表している。それは、この世界に命をもたらしながら、すべてのグリーンマップにも活気を添えている。海岸、両生類、海洋、虫類の生息地を表すシンボルは、多くのグリーンマップに使われており、環境に対する共通の総合的見解を示している。「自然食品店/地産品(Organic/Local food)」は、多くの人にとって持続可能な発想への「足がかり」となる。また、「産地直売/市場(Farmers Market)」のアイコンは、地域に息づく生物と様々な文化との結び付きをもたらしてくれる。目録ツールとして使われるこれら多くのアイコンは、地元の自然が持つ独自性に対する新鮮な視点をマップに吹き込んでいる。

図4枚.png

その素晴らしく、また感動的な成果は、私たちのウェブサイト全体に表れている。また、GreenMap.org/impacts のページでは、グリーンマップ・システムの重要なパートナーである「グリーンマップ・ジャパン」や「グリーンマップあいち」と共同発行した冊子をダウンロードすることができる。プロジェクトのネットワークは東日本大震災以前のほうが強固だったが、それでもこのパートナーシップは私たちの活動全体にとって力となっている。主だったマップ制作の事例を挙げてみよう:

 

2010年、国連の生物多様性会議、COP 10が日本の愛知県で開催された。現地では、農村部と都市部の多様性を示した40もの素晴らしいグリーンマップが新たに制作された。これは、NPO法人「中部リサイクル運動市民の会」の中川恵子さん率いる「グリーンマップあいち」の8年間にわたる努力のたまものである。COP 10を記念し、また、日本の中部に位置するこの地域に残るEXPO 2005の影響を反映した、これらの生き生きとしたグリーンマップには、丁寧な管理と観察によって達成された豊かさと素晴らしさが共通して表れている。マップの冊子は、goo.gl/wG2akEでダウンロードできる。

 

さらに「グリーンマップあいち」では、COP 10に向け、1シーズンにわたる啓蒙プロジェクトも展開した。新たにマップに掲載された場所を地域のメディアを通じて毎日ひとつずつ紹介するというもので、たとえば家族で借りることができる都市菜園、桜の樹皮などの天然染料を使った伝統的な着物店、トンボが飛び交う名古屋市緑区大高緑地(Odaka Midori District)の湿地が取り上げられた。

 

 

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COP10での国際交流サイドイベントには、「グリーンマップ・ジャパン」の理事、右衛門佐(よもさ)美佐子さんをはじめ、伊勢・三河湾の生物多様性を脅かす開発を食い止めた(そして新種も発見した!)六条潟グリーンマップ・プロジェクトの大矢美紀さん、インドネシアのジャカルタからは「グリーンマップ・アジア」を代表するマルコ・クスマウィジャヤさん、そしてグローバルなグリーンマップ・ネットワークを代表する私自身といった、幅広い人々が参加した。その過程で私は、NPO法人「里山を考える会」(NGO Satoyama)による北九州グリーンマップと出会った。この卓越したプログラムは、北九州市環境ミュージアムと提携した生物多様性のマッピングを中心に据えた継続的な活動である。

 

中東に目を向けると、レバノンにはベイルート・アメリカン大学のIBSARプログラムが支援するバイオダイバーシティ・ビレッジ(Biodiversity Village)・グリーンマップ・プロジェクトがある。過去5年間に、何十もの住民グループと研究チームが会合を重ねてきた。彼らは、グリーンマップのアイコンを地元の状況に合わせて決め直すことから始め、グリーンマップを制作するなかで、その村にとって最も重要な3つの植物種を選び出す。多くの場合は果物やナッツの木であるが、これらの種を増やすために彼らは協力して栽培を行う。現在、このような村落のインタラクティブなオープングリーンマップ30件を、私たちのプラットフォーム上で見ることができる(goo.gl/5gxMToを参照)。 近いうちにこのデータは、現地制作のモバイルアプリに組み込まれる予定だ。広範囲に点在するバイオダイバーシティ・ビレッジの緑地に近づくと、ユーザーに通知するアプリである。

 

南に下って、南アフリカのケープタウンでは、責任あるツーリズムがマップ制作の中心となっている(オンラインでCapeTownGreenMap.co.za を参照)。このウェブサイトも、市のグリーンマップ(インタラクティブ・マップ(PC上にある地図で、ユーザーがPCを操作することによって情報を得られる双方向性の地図)および紙の地図)も、観光客や住民を、この生物多様性に富んだ大陸端を探索したいという気持ちにさせるものだ。グリーンマップ・プロジェクトは、豊かな野生生物を支援する活動のほか、ケープタウンの「目玉」と言うべきテーブルマウンテンが「新・世界七不思議 自然版」の非常に数少ないリストに選定されるよう協力を行い、キャンペーンは成功を収めた。

 

米国東海岸の中規模都市、チェサピーク湾の豊かな入り江沿いに位置するボルティモアに目を転じると、「ボルティモアグリーンマップ(Baltimore Green Map organization)」が2012年にキックスターター・キャンペーン(Kickstarter campaign)を発足させた。目標は2つある。市の中心に位置する豊かな自然資源であるドルイド・ヒル・パーク(Druid Park)に対する意識を高めること。そして、パークのパスポートを作るための資金源を開発することだ。歴史あるネットワーク、「ドルイド・ヒル・パーク友の会(Friends of Druid Park)」との協力によって見事に出来上がったこの冊子には、グリーンマップ、ステッカー、そしてパークの自然遺産、歴史、ボランティア機会に関する説明が載っている(BaltoGreenMap.org を参照)。

 

図2_GM_JP.png

そして物語は一巡し、ジョグジャカルタに戻る。私があのオランウータンと出会った場所は、現地の人々が制作したグリーンマップに記載されており、彼女はムーブメントの出発点として認められている。私が住むきわめて都会的な街、ニューヨーク・シティにいても、そこに泳ぎ、飛び、生息する多彩な種について説明し、ビーチ、公園、庭園、都市菜園、回復・復興支援センターを取り上げることを思いつかせてくれたオランウータンに、とても感謝している。また、多くの点で、生まれた時に両親からWEBというイニシャルの名前を与えられたことによって、自分に託された使命を遂行しているように感じる。それは、人生を通じて私の認識と実践に影響を及ぼしている:

 

私は世界を、相互に結びつき合った全体、信じられないほどの強靭さを持った繊細な網(web)として見ている。他の生物種に対する私の共感は、クリエイティブな発想と行動に役立ち、また、命の網に奉仕する情報の網を活用して、多くの素晴らしい人々や環境と交流する道を切り開いてくれた。

 

 

ブラウアー氏 写真: © ピーター・シャピロ、2013年

 

 

 ウェンディ・ブラウアー氏  プロフィール

 

ウェンディ・E・ブラウアーは、20年以上にわたり持続可能なデザインを追求している。彼女は、ニューヨーク・シティのグリーンな生活資源(green living resources)を示したグリーンマップの原型を制作することにより、環境能力向上プロジェクトの火付け役となった。1995年に始まったその活動は、現在、65ヵ国以上へと広がっている。インターネットによる協働の先駆者である彼女は、参加型ツール、アイコン、マッピングプラットフォーム、マルチメディア、イベントの開発を主導してきた(GreenMap.orgを参照)。また彼女は、ニューヨーク・シティのインタラクティブ・マップや印刷地図も数多く制作している(GreenMapNYC.orgを参照)。

 

ウェンディ・E・ブラウアーは米国デトロイトに生まれ、1985年にアーティストとして東京に移住。これを契機にプロダクトデザインに転向した。1990年までは、エコデザイナーとして活動し、クーパーユニオン大学において、ニューヨーク・シティ初の大学レベルの環境デザイン講座で共同授業を実施。スミソニアン・クーパー・ヒューイット国立デザイン博物館のデザイナー・イン・レジデンスに指名された他、Terre de Femmes賞を受賞。また、Utne Reader誌により「世界を変える先見者」に選ばれた(EcoCultural.infoを参照)。彼女はマンハッタンで様々な委員会やコミュニティ・プロジェクトに積極的に参加しており、レジリエンシー、共同開発、地域参加を促すデザインを専門分野とし、社会に変革を生みだしている。

 

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