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生物多様性コラム

日本の超新星から届く光

ロジャー・パルバース
作家、劇作家、演出家、ジャーナリスト、翻訳家

2017年には、私が日本に住むようになって50年になる。1967年以来、この国には驚くような劇的な変化がたくさん起きてきたが、現在ほど深刻かつ根本的な試練に直面している時はない。日本は岐路に立っている。そして、この国が今後数年に選ぶ道は、さらなる50年における私たちの運命を決めることになる。

 

明治時代(1868-1912年)に採用され、その後は戦後数十年間にわたって修正と洗練を重ねられてきた成功モデルが、もはや大多数の日本人に恩恵をもたらすものでないことは明らかだ。福祉には、健康、教育、生活保障、自己実現など、生活の質に関わるあらゆる問題が含まれている。しかし、持てる者と持たざる者の所得格差をもたらし ジワジワと環境を脅かす社会システムは、こうした福祉全体を、決して高めるものではない。これが、いま日本社会が向かいつつある未来図なのだ。社会には不公平感ががっちりと組み込まれ、自然はその姿を保てなくなるだろう。今、日本では、時計の針が後ろ向きに回っている。

 

幸いなことに日本の人々は、グリーン・ソーシャル・デザインを包含する開発を追求し、それどころか、世界中の社会と実業界の両方にとってモデルとなることを可能にするような理念を、遠く国外に探し求める必要はない。それはすべて、人間が自分自身とその行為にどのような目を向け始めるかにかかっている。

 

賢治坐像r.png

 

作家であり、詩人であり、農学者であり、そして宗教的思想家でもあった宮沢賢治は、19世紀の終わりに生まれたが、完全に時代とは歩調が合わなかった。日本は、「和魂洋才」と「富国強兵」という2つのモットーを掲げ、帝国の構築に邁進していた(後者は現在、紛れもなく、この国の主導的モットーとして返り咲いているようだ)。

 

賢治は、生前名声を得ることはなかった。すべての人の福祉向上という彼のビジョンは、時代のはるか先を行っていたからだ。

 

彼の詩と短編のすべてに通底するメタファーは、つながり合いを表すものだ。私たちはみな、つながり合っている。人間同士だけでなく、地上と宇宙のあらゆる自然現象とつながり合っている。

 

短編「インドラの網」の中で、賢治は、すべてのものが糸でつながり合っていることを見る。これらの糸は、人と人をつなぐだけでなく、有機的であるか無機的であるかを問わずあらゆるものをつなぎ合わせる。宇宙は、相互依存の網である。もし、どこであれ1本の糸が切れれば、他のすべての糸に影響が及ぶ。網に落ちたしずくは鏡となって、私たちの姿を映し出す。その反映がさらに、私たちの後ろ、横、前にあるしずくへと、無限に反映される。

 

言い換えれば、賢治の網は、空間だけでなく時間の中にも存在する。しずくの鏡の中に、私たちははるか遠い過去を覗き込むことができる。いま目の前にあるものを理解するためには、過去を覗き込み、自分がいる場所の歴史を知らなければならない。賢治の最も有名な詩「雨ニモマケズ」の中で、私が好きな言葉はこれだ。

 

         アラユルコトヲ

         ……

         ヨクミキキシワカリ

 

今日私たちがしなければならないことを理解するためには、かつて起きたこと、そして私たちが特定の道筋を選べば将来何が起こりうるかを徹底的に理解することが不可欠だ。これを理解することが、持続可能なソーシャル・デザインを最も確実に保証してくれる。

 

これをせず、その結果、とてつもない事態を招いた最も如実な例が、2011年3月11日の東日本大震災と津波が引き起こした原発事故である。

 

賢治は、明治三陸地震が起きた年である1896年に生まれ、昭和三陸地震が起きた年である1933年に亡くなった。どちらの自然災害も、2011年3月の被災地である東北の湾岸地域に津波を起こした。実際のところ、1896年の津波のほうが2011年より多くの死者をもたらし、約22,000人が亡くなった。もし私たちがこのことを認識し、その認識を踏まえて、まさにその湾岸地域で原子力発電を行うことを拒否していたなら、放射性物質が陸に拡散し、水中に広がり、何十万人もの人々の生活を奪うという大惨事を防ぐことができただろう。

 

賢治立像.png

賢治は動物の福祉を異常なほど気にしていたが、それは世界の他の著作家たちがこのテーマを取り上げるよりはるかに前のことだった。90年前、賢治は「フランドン農学校の豚」という題の短編を書いた。主人公は、殺されることを拒むヨークシャー種の豚である。賢治自身は、21歳の時にベジタリアンになり、動物は感じたり苦しんだりする能力において人間と対等であると考えていた。

 

詩「風景とオルゴール」は、私たちに、自然における人間の位置を最も抒情的かつ深遠に描いて見せる。

 

         一人の農夫が乗っている

         もちろん農夫はからだ半分ぐらい

         木だちやそこらの銀のアトムに溶け

         また自分でも溶けてもいいとおもいながら

 

馬に乗った農夫は、そのドラマティックな風景と一体化しつつある。一体化どころか、彼は半分溶けてしまっている。この詩は、自然の風景の不可欠な部分をなす物理的要素として農夫を見るという視点をもたらす。結局のところ、私たちも風景も遠い星から来た同じ粒子で作られているということを、いまや私たちは知っている。

 

 

この詩の中で、賢治は山から木を伐採しているが、そのことで山が自分に仕返しをするかもしれないとわかっている。彼は、木を再び植えて自分が切った分を土地に補充する義務を負い、そして、五間森と呼ばれる丘に向かって、怒らないよう懇願する。

 

         しずまれしずまれ五間森

         木をきられてもしずまるのだ

           

彼の仕事全体を見渡すと、自然のバランスのもろさを鋭く意識し、人間を万物の霊長ではなく森羅万象に存在を依存するひとつの要素と見なす、ひとりの作家の姿が浮かび上がる。動物の権利と幸福の問題、21世紀においても最先端を走る社会的責任の問題が、そこにはある。賢治は、自然を利用したらその分を補充する必要があることを説いている。彼は、経済開発に熱心だったが、それが自然に永久的なダメージをもたらさない場合に限っていた。

 

宇宙は非常に遠くもあり、同時に私たちのすぐ足元にもあると、賢治は教えてくれる。ここに挙げる「小岩井農場」という詩の一節では、日々の現実における場所と時とが混然一体となっている。

 

小岩井農場の一本桜.jpg

 

         わたくしは白い雑囊をぶらぶらさげて

         きままな林務官のように

         五月のきんいろな外光のなかで

         口笛をふき歩調をふんでわるいだろうか

         たのしい太陽系の春だ

 

住んでいた花巻を散歩しながら発見した、太陽系の春。この宇宙における私たちの位置をこれほどシンボリックに表すことはできないだろう。

 

今日、日本人が開発とエネルギー生産(generation of energy)について下す決定は、世界中のすべての人に影響を及ぼす。宮沢賢治は、それを私たちに指摘した稀な日本人であり、19世紀に生まれた21世紀の先見者である。そして、1933年に爆発した超新星だ。

 

その光は、やっといま私たちに届きつつある。この光のいくばくかでも、日本が進む道の行く手を照らしてくれることを期待しよう。

 

賢治の童話と詩の一部は、以下のサイトでバイリンガルの電子ブックとして入手することができる:

http://www.rhinocerosmusic.com/bilingual.html

 

天の川.jpg

 

 

 

 ロジャー・パルバース氏  プロフィール

 

作家、劇作家、演出家、ジャーナリスト、翻訳家として、ロジャーは、日本とオーストラリアのメディアと舞台で40年以上にわたり活躍している。また、映画制作にも携わり、大島渚監督作品「戦場のメリークリスマス」で助監督を務めた。

 

小説には、「ウラシマ・タロウの死」、「新バイブル・ストーリーズ」、「旅する帽子 小説ラフカディオ・ハーン」、近刊「ハーフ」がある。これまでに、小説、戯曲、ノンフィクション、詩集、翻訳など、日本語と英語で40冊を超える著書を発表している。2010-2011年に、NHKで週1回放送された番組「ギフト~E名言の世界~」の台本を執筆し、講師を務めた。

 

受賞歴としては、「明日への遺言」により第27回テヘラン国際映画祭脚本賞を受賞、また、2008年に宮沢賢治賞、2013年には野間文芸翻訳賞を受賞した。

 

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