Colums – The MIDORI Press /ef/midoripress2020/ Thu, 24 Sep 2020 11:49:22 +0000 ja hourly 1 食と生物多様性 /ef/midoripress2020/ja/topics/columns/6031/ Thu, 24 Sep 2020 11:49:22 +0000 /ef/midoripress2020/?p=6031
電通報_香坂先生お写真

香坂 玲

名古屋大学大学院 環境学研究科 教授

はじめに

和食が世界無形遺産に登録され、伝統的な食文化を保護・継承しようとする動きが活発化している日本において、いま、伝統野菜の生き残りをかけて闘っている人たちがいる。農地や生産量の拡大を図り、スケールのメリットを追いかける流れに逆らい、地域の特性を活かした昔ながらの野菜を守ろう、或いは希少性を逆手に高付加価値の産品として売り出そうとする取組みが全国で始まっている。

もともと地元で細々と生産されてきた伝統野菜は、全国的な知名度を誇る京野菜や加賀野菜などは例外的であり、大半は流通や消費が限られているのが実情だ。また、一言で伝統野菜といっても、生産開始が中世に遡るものもあれば、戦後に誕生したものもあるなど、何をもって伝統野菜とするかは各地バラバラで、定義は実に曖昧である。しかし、曖昧であるからこそ様々な取組みが可能という側面もあり、地域活性化の救世主となる可能性も秘めている。また、地域の特性を活かしながら生産され続けてきた伝統野菜は、生物多様性とも密接に関係している。筆者はそうした伝統野菜の可能性や実情を様々な観点から検討した「伝統野菜の今」(清水弘文堂書房)を2015年7月に上梓した。その中身について紹介する。

和食が世界遺産に

2013年、6月に富士山が世界文化遺産に登録されたのに続き、12月には和食が世界無形遺産に登録され、大きなニュースとなった。一方で、和食の登録を決定づけた提案理由についてはほとんど知られていないのではないか。

ユネスコに提出した申請書では、提案理由を以下のように述べている:

「和食」は、四季や地理的な多様性による「新鮮で多様な食材の使用」、「自然の美しさを表した盛りつけ」などといった特色を有しており、日本人が基礎としている「自然の尊重」という精神にのっとり、正月や田植え、収穫祭のような年中行事と密接に関係し、家族や地域コミュニティのメンバーとの結びつきを強めるという社会的慣習である

このように、単に料理そのもの、或いは盛り付けや飾り付けの技とか健康面での効用というよりも、四季や自然との関係、正月といった文化やコミュニティの行事のなかでの位置づけを強調している。従って、それぞれの地域の風土や景観のなかで、人の営みやコミュニティが自然と織りなしてきた文化としての価値を認められての登録であった。実はこの登録理由は、生物多様性がなぜ大切なのかという議論にも関係する。生物多様性も、単に多様な生き物がいればいいというものではなく、地域の風土で培われてきた生き物と、人の営みとのインターアクションが重要となる。

世界遺産登録の提案書には、和食を誰が守っていくのかという点についても触れているが、「草の根グループや学校の教員、料理のインストラクターも、フォーマル及びノンフォーマルな教育や実践を通じ、知識及び技術の伝承を担っている」と、フォーマル、インフォーマルという両方を含める形を取り、戦略的か無自覚か、曖昧にしている。しかし、フォーマルな登録がなされ、守っていく義務が課されたことで、逆説的に、どの時期、どの地域、どの範囲のものを守り、維持していくのかといった議論が今後は欠かせなくなっている。

 

世界遺産に限らず、地域ブランドの登録商標、地理的な産地証明といった制度の側は、「曖昧さ」「いい加減さ」といったゆらぎをなるべく少なくすべきと考えている。例えば、産地証明であれば、はっきりと地理的に区分したエリアのなかで生産されているものを登録し、追跡ができるようにしたい。ところが、実際には、エリアを曖昧にすることで参加できる生産者を多く確保しようとするケースもあれば、行政や農業団体が設定した区分ではエリアが実情より広すぎるとか途中で切れてしまうケースもままある。また、2015年6月に日本でも導入された「地理的表示の保護」の制度では、地理的な区分に加えて、品質、製造方法、祭事など使われる場面などの特定にも踏み込んで登録が行われる可能性が議論されている。なるべく客観的に測れる成分で登録の線引きをしたいのが制度側の論理となるだろうが、伝統野菜などではエリアから、製造方法、味や品質まで、客観的に線引きできるのかどうか疑問があり、伝統野菜の成り立ち、実情から必然的に生じるゆらぎに対して、制度の側も歩み寄る必要がありそうだ。

伝統野菜のこれから

ユネスコの世界遺産の他に、国際連合食糧農業機関(FAO)が環境や生物多様性を損なわない伝統的農業や農村文化の保全を目的として創設した世界農業遺産という制度があるが、2011年に「能登の里山里海」が登録された際、登録された後にこそ、派手でなくても遺産としてしっかりと残す覚悟と手立てが必要であるとの声が数多く聞かれた。メディアも含め「登録」をゴールにしがちであるが、登録後の日常、営みこそが遺産となっていくことを忘れてはならないだろう。

能登の千枚田

伝統

伝統野菜 やわらか源助大根(加賀野菜)

なぜ、今、伝統野菜に注目が集まるのか。農作物の大量生産ないしグローバル化への反発や不安なども根底にありそうだ。かつては高付加価値の特別だった商品がありふれた日用品へと変化してしまうことを「コモディティ化」と呼ぶが、大量生産の「コモディティ化」した野菜に飽き足らず、個性とかストーリーがあることを期待される伝統野菜。2013年に和食の世界無形文化遺産登録とも相まって、何か誇りを与え、感情的に訴えるものとして脚光を浴びている側面もありそうだ。

生物多様性の議論では、伝統野菜を含めた農作物の多様性を遺伝資源として扱い、商品としての農作物とは別の意味で、世界的に熱い視線が注がれている。遺伝資源の利益の配分を巡っては国家間で激しい論争が展開されているが、その一方で世界中から集めた種子を次々と北極圏の貯蔵庫に持ち込み、何か植物の疫病や気候の変化が起きた場合の備えの遺伝資源として保管する、「ノアの方舟」とも称せられるプロジェクトも進行している。

また、このままでは大量生産の波にのまれて消えてしまうかもしれない地域固有の在来品種や伝統的な加工食品を「味の箱舟」として認定し、地域の食の多様性を守るプロジェクトが国際的に展開実施されており、日本でも2014年現在、32品目が認定されている。グローバリゼーションや標準化に対抗する運動の一環であるが、やはり生物多様性の保全にもつながるプロジェクトとされている。

帰るべき場ではなく、自らを問う場としての伝統野菜へ

実際に伝統野菜を販売している場では、「何かスト―リーがあるはず」という期待とノスタルジアを満たすために、逆に伝統野菜というフレームを生み出している側面も窺える。勿論、地元の伝統野菜をつないでいくことを、何か利益や権限を得るためではなく、責任として捉え、細々とでも何とかつないでいる事例も多くあるが、伝統野菜という物語性ある作物を探し、或いは創造して販売している商業的な色彩の強い事例も相次いでいる。いずれ、「どの伝統野菜が本物か」という論争や小競り合いが本格化することさえも予測される。

伝統野菜 加賀太きゅうり

しかし、問うべきは、どの伝統野菜が本物で、どの伝統野菜が虚構なのかということではない。むしろ、なぜ、そこまで日本の消費者がストーリーを求めているのかという点だ。伝統という響きは、忙しなく駆け上がってきた「今、ここで」という喧噪から離れようとする、「いつか、どこかで」という憧れをもたらしているのかもしれない。そこで地域性やストーリー性を感じさせる伝統野菜に多くの人々の期待が高まり、伝統野菜の人気を後押しした面もあろう。ところが、伝統野菜の現場は、消費者がその語感から当初期待するほど牧歌性は帯びていない現実もあり、いまや、自家消費のため、後世のために続けていく従来の路線に加え、都市部での富裕層への販売を目指す路線も可能となっている。極端なことをいえば、自由貿易を通じてグローバル化の路線でさえも可能となるだろう。

仙台伝統野菜

しかし、伝統野菜を通して問うべきは、それが本物であるかどうかでもないように、その消費がどうあるべきかでもない。なぜ伝統野菜が自分にとって大切なのか、どのような農業、どのような社会を形作っていきたいのか、自らを問うことができるかどうかである。いま、伝統野菜に帰る場を求める力が、消費だけではなく、自らの価値を問うものへと脱皮ができるのかの分岐点でもある。

香坂 玲 (こうさか りょう)氏 プロフィール

名古屋大学大学院 環境学研究科 教授

東京大学農学部卒業。ハンガリーの中東欧地域環境センター勤務後、英国で修士、ドイツ・フライブルグ大学の環境森林学部で博士号取得。
2006年からカナダ・モントリオールの国連環境計画生物多様性条約事務局での勤務を経て、2008-2010年度までCOP10支援実行委員会アドバイザーを歴任。
2010年は、イオン環境財団が支援し、50カ国以上の若者が集った国際ユース会議などにも参画した。

近著に、「伝統野菜の今」(清水弘文堂書房 アサヒエコブックス)「生物多様性と私たち」(岩波ジュニア新書:国際ユース会議も報告)、「地域再生 逆境から生まれる新たな試み」(岩波ブックレット)、「農林漁業の産地ブランド戦略」(ぎょうせい)など

これまで生物多様性及び生態系サービスに関する政府間科学-政策プラットフォーム(Intergovernmental Science-Policy Platform on Biodiversity and Ecosystem Services:IPBES) のアジア太平洋地域の報告書の調整役代表執筆者 (CLA) 、外部評価パネル委員、また政府代表団の一員として貢献している。野生種の持続可能な利用のレビューエディターと政策カタログの専門家も務める。また、生物模倣技術のISOの会議(TC266, WG4)にもコンビーナーとして参画している(1期2018-2020,  2期2021-2023)。Future Earth関連の国際連携にも積極的に参画し、2020年10月からは、連携会員(環境学)として日本学術会議にも貢献している。

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スローフード、30周年 /ef/midoripress2020/ja/topics/columns/5021/ Thu, 22 Dec 2016 06:20:30 +0000 /ef/midoripress2020/?p=5021

1986年、スローフード運動はイタリア・ピエモンテ州の小さな町「ブラ」で始まりました。世界的なファストフード店がローマに出店したことをきっかけに、美食の会「アルチゴーラ」のメンバーが、地域の天然食材による伝統的で文化的重要性の高い、多様な料理を楽しむ「スローフード」の大切さを呼びかけたこの運動は、次第に広がりを見せ、1989年にはスローフード・マニフェストがパリで調印されました。スローフード運動が始まってから30年が経ち、現在、スローフード運動は150カ国以上に1,500を超える支部を持つ、世界的なムーブメントとなっています。
このスローフードという運動を通して、農業、地域振興、政策という側面から生物多様性について考えることができるのではないでしょうか。

農業生物多様性、政策研究等に造詣の深い東北大学の内山愉太先生に教えていただきました。

回答者:内山 愉太

東北大学大学院 環境科学研究科 産学連携研究員

農業は生物多様性に、どのような影響を与えるのでしょうか。

地域振興策の例には、伝統野菜を活用した取り組みがあります。スローフード運動は、地産地消の促進、地域の伝統的産品や食文化の継承を含みます。伝統野菜は、仙台の余目ネギ、東京の練馬大根、金沢の源助大根、名古屋の八事五寸人参など、各地に多様な産品が存在し、産品を通した地域歴史・文化の理解を基礎として、食農教育や観光と結びつけ、生産・消費の活性化が目指されています。
中でも練馬区においては、積極的に都市農業が展開されつつ、伝統野菜を栽培、普及する活動が同時になされており、持続可能なスローフードの芽が都市部でも育てられています。また、それらの活動は、農業遺産等の地域認定や、地理的表示等の産品認証によって後押しすることも可能です。

スローフードを政策の中で活かしていくことはできるでしょうか。

国際機関、国、自治体等の連携による政策が進められています。例えば、国連食糧農業機関(FAO)は、スローフード運動と親和性の高い施策を打ち出しており、世界農業遺産認定は、その内の主な柱の一つです。また、産品の認証制度として、地理的表示の保護制度など公的な機関が栽培方法や生産について登録や保護をする仕組みも存在し、日本でも2015年にスタートしました。
世界農業遺産は、産品や景観等のモノを対象とするのではなく、地域の農業システムを対象としており、スローフードを実現する営みを認定し、育てようとする試みともいえます。国内版の日本農業遺産認定も2016年度よりスタートし、国内外の連携が強められつつあります。ただし、少品種・大量生産型の農業を推進する国際的潮流は根強く残っています。そのため、単なる産品のブランド化に陥らずに、生活の中に農林漁業、畜産業を位置付け、生産から消費の持続可能な循環を統合的に後押しする政策が求められています。

スローフードを生かした地域振興策には、どのようなものがあるでしょうか。

地域振興策の例には、伝統野菜を活用した取り組みがあります。スローフード運動は、地産地消の促進、地域の伝統的産品や食文化の継承を含みます。伝統野菜は、仙台の余目ネギ、東京の練馬大根、金沢の源助大根、名古屋の八事五寸人参など、各地に多様な産品が存在し、産品を通した地域歴史・文化の理解を基礎として、食農教育や観光と結びつけ、生産・消費の活性化が目指されています。
中でも練馬区においては、積極的に都市農業が展開されつつ、伝統野菜を栽培、普及する活動が同時になされており、持続可能なスローフードの芽が都市部でも育てられています。また、それらの活動は、農業遺産等の地域認定や、地理的表示等の産品認証によって後押しすることも可能です。

スローフードは、私たちのライフスタイルを変えていくでしょうか。

地域・地球環境、歴史・文化と共生するライフスタイルとスローフードは結びついています。スローフードを求める人々は着実に増加しており、その動きは食を入り口にライフスタイル全体を問い直そうとする国際的なトレンドとつながっています。
スローフード運動が多くの人々を引き付けるのは、地域の食を次世代につなぐことに様々なかたちで貢献していることによって得られる喜び、安心感があるからですが、そのことが地球・地域環境の保全、社会のつながり、経済循環の促進にまでリンクしているという事実もスローフードの魅力の根底にあると思います。地域で食を共有するライフスタイルを、楽しみながらかたちづくることは、災害時にも柔軟に対応可能な社会をつくることでもあります。

内山先生、どうもありがとうございました。

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生き物のにぎわいこそ暮らしの色どり: 古代湖・琵琶湖の生物多様性と文化の多様性 /ef/midoripress2020/ja/topics/columns/2478/ Mon, 03 Oct 2016 05:42:45 +0000 //demo-content.kaliumtheme.com/main/?p=2478

嘉田由紀子

びわこ成蹊スポーツ大学学長、前滋賀県知事、元日本環境社会学会会長

田んぼはつかみ取りのため池

「田んぼは、一夜にして、雨がプレゼントしてくれたつかみ取りのため池に早変わり。目ざとい子どもたちが、こんな遊び場を放っておくはずがありません。好奇心あふれる小学生の男の子たちは、学校へ行く前にフナのつかみどりをはじめることになります」。(今森光彦 2015年6月15日)

このコラムに琵琶湖辺の大津生まれの今森光彦さんが、自らがなぜ里山写真家になったのか、その原風景をこう描いています。昭和30年代の琵琶湖辺、普段は琵琶湖に暮らしている魚たちが、雨降りに乗じて水田に入り込み産卵をする、その魚たちを追いかけるワクワク感が今森さんを里山の魅力に引き込んだとのこと。

今森さんが育ったのは大津市西部の尾花川町、今は大津京駅前のビル街の真ん中です。琵琶湖周辺に水田がひらかれたのは約2300年前ですが、周囲の水田が産卵場に、という光景は琵琶湖辺どこでも見られたものでした。下の写真は琵琶湖大橋近くの守山市幸津川町(さつかわちょう)の昭和30年頃の写真です。このあたりでもお年寄りは、「“ウオジマ”言うてな、雨が降ると琵琶湖からフナやコイがシマのように田んぼにあがってきて、それをつかんでフナズシをつくったもんや」と口ぐちに懐かしそうに話してくれます。

その同じ場所、同じアングルで対比した写真が右下です。昭和40年代から始まった「琵琶湖総合開発」は琵琶湖を多目的ダムのように活用する水資源開発でもありました。琵琶湖水位を人工的に操作するため、琵琶湖と水田の間に堤防や水門をつくり、魚の通路を斜断してしまいました。その上、水田は用水と排水を分離して圃場(ほじょう)整備がなされ、この幸津川地区では、用水路は地下に埋め込まれ、水道のようにバルブで供給することになりました。排水路はあるものの、魚が琵琶湖から水田にあがる環境は完全に破壊されてしまいました。

生物多様性が生みだした文化の多様性

実は400万年の歴史をもつ古代湖・琵琶湖は、「進化の展覧会場」ともいわれるほど多数の固有種がくらす豊かな生態系を維持してきました。琵琶湖の在来の魚類の大きな特色は、すべての魚種が沖合では産卵せず(できず)、沿岸域のヨシ帯や水田、岩場で産卵する習性があるということです。琵琶湖固有種で、巨大なビワコオオナマズでさえ5-6月頃、沿岸の岩場で産卵します。今森さんのように子どもだけでなく、大人も含めて魚つかみに興じ、ニゴロブナなどを水田やヨシ帯でつかんで一年分のおかずを確保しました。またこれらの魚類は、地域の神社の祭りの神饌(しんせん)としてお供えされることも多く、宗教的・文化的にもなくてはならないものでした。

環境社会学の分野では「自然は誰のものか?」という所有と利用の権限について、過去、数多くの研究がされています。特に1960年代末に「共有地の悲劇」というアメリカの生物学者が書いた論文の中で、「牧草地などの自然を共有にすると利己主義的な利用がはびこり、資源を食いつぶしてしまって資源枯渇を招くので、自然も個人所有にするべき」という主張をしてから、にわかに自然所有の論争が増えてきました。

私自身1970年代にアメリカに留学し、「自然の所有・利用」研究に着目し、帰国後、琵琶湖辺の土地・水・生き物利用の伝統的知識を調査してきました。その結果わかったのは、土地は個人所有ですが、水は地域共有資源であり、集落毎に共同管理をされてきた伝統が今に引き継がれていること、また水田の魚類は、個別の水田所有者のものではなく「つかんだもの勝ち」という“制限のない共有資源”として認識されている地域が多いこともわかりました。ここには土地の所有にかかわらず、誰もがおかずを確保して生活を維持するといういわば生活の必要性を求め、「多様な生態系」に根差した地域社会での「弱者保護・弱者共存」の思想が隠されていたことも見えてきました。つまり、土地・水・生き物、それぞれに所有と利用が「重層的に利用・管理」されていたのです。おかずとしての価値がないメダカやホタルなどの生き物は子どもたちの遊びの対象として重要な意味がありました。このような日本の農村の水や魚利用の文化的伝統が、村落共同体として維持され、産土神(うぶすながみ)の神社信仰にもつながっていました。生物の多様性が文化の多様性を維持していたわけです。

農業の近代化の掛け声の元、圃場整備がすすみ、農薬や化学肥料を大量に投下して、稲作の生産性だけをあげる「稲作単一化」の中で、水田の魚は邪魔者になってきました。魚も農薬と共存できず、水田や水路から魚類などの生き物が姿を消しはじめました。

生物多様性国家戦略に文化の多様性を入れ込んでもらう

1992年のリオデジャネイロ環境会議でにわかに国際的議論となってきた生物多様性概念ですが、日本が条約を批准し最初の国家戦略をだしたのが1995年(平成7年)でした。この戦略をみて、私自身はかなりの違和感をもちました。それはアメリカ的な自然保護論が中心で、下の図でいうと「人間社会・文化 対 自然」という対立型社会モデルが基本であったからです。琵琶湖辺の水田農村での「生物の多様性が文化の多様性を担保」している状況などを詳しく調べてきた私自身は、その違和感を環境省や文化庁の委員会などで強く主張し、下の「重なり型社会モデル」に基づく国家戦力の必要性を強く訴えました。私以外にも、日本での人類学・民俗学・環境社会学などの研究蓄積が増えるに従い、2002年(平成14年)の新・国家戦略では、日本の文化の多様性は生物の多様性により維持・発展し、両者の共生関係こそ日本的自然観のエッセンスであることが明示的に示されました。琵琶湖辺の西の湖周辺のヨシ帯地域が第一号に指定された「重要文化的景観」もこの重なり型社会モデルの文化庁バージョンともいえます。

水田に魚を再びよびこむ「魚のゆりかご水田」プロジェクト

1980年代末から準備をしてきた琵琶湖博物館は、「湖と人間のかかわり」を研究・展示をする総合施設として1996年(平成8年)に開館しました。その直後に私自身がリーダーとなって始めたのが「水田総合研究」でした。水田の歴史・文化・社会、生態的特色を研究しながら、「うおじま」として産卵場であった水田の多面的機能を回復し、固有種の回復を図る一助にしようと、滋賀県当局に提案しました。当時すでに固有種資源はかつての20分の一ほどに減っており、特にフナズシ用のニゴロブナの資源枯渇は深刻でした。しかし、ここではかなりの抵抗がありました。すでに近代化農業を進めてきた県職員の発想としては、「水田は稲を育てるところ、水田に魚は邪魔、魚は水産課の仕事」という縦割り意識が強く、水田で魚を育てるという発想に至るにはかなり壁がありました。この壁を越えたのが、琵琶湖博物館の学芸員の研究成果でした。水田に放った数匹のフナの親魚から数万の稚魚が生れ琵琶湖に下ったという研究成果を公表したところ、農政担当の若い職員が地元の土地改良区と協力をして水田に魚道をつくりはじめました。2003年頃のことです。その時の私たちの呼びかけ戦略は「生物多様性の維持」ではなく、「高くなってしまったフナズシをもっと安く食べられるようにしよう!」という“くいしんぼ戦略”でした。この戦略はだんだんに浸透し、特に私自身、知事に就任した2006年以降は、県の農業政策と環境政策の目玉政策として力をいれてきました。

「魚のゆりかご水田」をすすめるにはまずは地元の集落や土地改良区の理解が必要です。かつてのウオジマを記憶している高齢者の方たちが湖岸の各地でうごきはじめ、今では50地区をこえる地域で進められています。積極的に参加してきた地域では、「五方よし」という表現がおのずと生まれてきました。「生き物によし」「琵琶湖によし」に加えて、魚が水田にいると「子どもたちが遊び」、「地域全体がにぎやか」になり、また魚が育つ安全水田の米ということで、ブランド米として「価格も高くうれる」ということもわかってきました。

2015年、琵琶湖とその水辺景観が日本遺産に

2006年の知事就任後、私自身、琵琶湖にかかわる「水の宝」を発掘するように文化財保護課に担当者を置き、数年以上かけて100項目の「水の宝」を指定し、その宝にストーリー性をもたせる政策を進めてきました。結果、「祈りと暮らしの水遺産」として、2015年に日本遺産に認定されました。琵琶湖の生物の多様性がフナズシに代表される伝統的な食文化を育み、結果として地域の人たちの誇りの源泉となり、また観光資源としても価値づけがなされたことになります。2017年には、琵琶湖全体をフィールドとする「ぐるっと水の文化フェア」が開催される予定で、自然と人間社会が重なりあう環境共生モデルは、日本人以上に海外の人たちから注目されることが期待されます。

嘉田由紀子(かだ ゆきこ)氏 プロフィール

びわこ成蹊スポーツ大学学長、前滋賀県知事、元日本環境社会学会会長。

1950年埼玉県の養蚕農家生まれ。農本主義者の母に育てられた子ども時代に農業や自然の面白さに引き込まれる。中高の修学旅行で比叡山や琵琶湖にあこがれ関西へ。京都大学学生時代、人類の起源を求めたアフリカ探検で地球規模での水と人間の共生に関心。アメリカ・ウイスコンシン大学大学院への留学を経て、滋賀県琵琶湖研究所研究員として琵琶湖辺の水田農村で環境社会学研究を開始、1980年代に社会学・人類学の研究仲間と「生活環境主義」を提唱。1985年京都大学より農学博士を授与。1990年代に琵琶湖博物館の設立を提案、建設・企画・運営にかかわる。京都精華大学教員を経て、2006年に学問の成果を政治に活かしたいと滋賀県知事選に挑戦、全国で5人目の女性知事となる。「琵琶湖環境政策」「子育て・女性参画」「地域雇用・活性化」「“卒ダム”流域治水政策」「“卒原発”政策」などで新機軸を開き2014年7月、知事を勇退。現在、びわこ成蹊スポーツ大学の学長。地域の水文化・環境の再生や若者育てにより孫子安心社会づくりに励む。

著書に『いのちにこだわる政治をしよう!』(2013年、風媒社)、『知事は何ができるのか-「日本病」の治療は地域から-』(2012年、風媒社)、『生活環境主義でいこう!―琵琶湖に恋した知事』(語り、2008年、岩波ジュニア文庫)、『水をめぐる人と自然‐日本と世界の現場から-』(2003年、有斐閣)、『環境社会学』(2002年、岩波書店)、『水辺ぐらしの環境学‐琵琶湖と世界の湖から-』(2001年、昭和堂)など多数。

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田んぼで学ぶ生物多様性 /ef/midoripress2020/ja/topics/columns/5579/ Wed, 03 Aug 2016 00:21:58 +0000 /ef/midoripress2020/?p=5579

高野孝子

早稲田大学 留学センター 教授

「わあっ、ヒルだ〜、やだあ〜」
「カエルかわいい!」「おたまじゃくし、むっちゃいる!」

2016年6月上旬、10代から70代の20名近い人たちが、素足で田んぼに入った。場所は新潟県南魚沼市の山あいの農村、栃窪。腰を曲げ、両手を泥につっこんで、引っ掻き回しながら草を取る。シンガポールから直接やってきた人や、アメリカや中国からの大学生たちも交じっている。地元の人たちを含む数名をのぞいて、全員が、田の草取りは初めてだった。

「効率」と棚田

山の斜面を開いて作った棚田では、田の規模を大きくできない。つまり大型機械を使った、いわゆる「経済効率のいい」稲作はできない。そもそも近年、農業では生計が立てられないため、集落の若い人たちは町に出て勤めを探す。高齢化が進むこの地域では、耕作が続けられない世帯がどんどん増えている。
政策の転換もあり、栃窪では10年ほど前から集落営農の試みが始まった。組織を作り、村内在住の退職者がその主たる構成員となって、田んぼを借り受け、耕作ができなくなった人たちに代わって米を作る。自分たちが暮らす地域の環境を荒らさないため、祖先が苦労して拓いた大切な田んぼへの敬意のため、次につなぐ可能性を残し続けるためだ。

平野部とは違う米作りをしよう、少々高くても安全なコメに価値を見出す人たちはいるはずと、彼らは完全無農薬で有機栽培、または大幅な減農薬での米作りを決めた。

農村の現場から学ぶ

栃窪の集落営農組織は、完全無農薬の一つの田んぼで、NPO法人と協力して通年の田んぼプログラムを実施している。先述の人たちが参加したのは、そのうちの「田の草取り」の回だった。大学で私が担当する、人と自然の関係を考える授業の一部としても6人の学生が参加した。

1泊2日のプログラムでは、草取り以外に、農家さんからの座学や、地元の食材を使った見事な食事、村の人たちを交えての交流会なども含まれる。集落を歩きながら、多くのことを知る。例えば、カモシカがいつもいる場所や獣害のこと、雪国ならではの屋根の形、小学校の全校生徒数が10人前後であること。生態系や社会的な課題を含め、今年の異常な小雪がどのような影響を田畑に与えているかなども実際に見て取れる。

一般的に大学の授業は、多くの場合教室内での講義となる。私は「サステナビリティ」に関連した授業を幾つか持っているが、それらも同様だ。

生物多様性の概念はサステナビリティでは欠かせないテーマになる。だが、教室内で文字や写真、さまざまな言葉を駆使して説明しても、学生たちは「頭では理解したつもり」「ピンとこない」とすることが多い。一つにはこちらの説明のしかたの問題があろうし、自然と暮らしの接点に関する彼らの実体験の不足なども理解につながりにくい理由の一つだろう。彼らに自分たちで具体例を調べてもらっても、やはり出典からコピーしてきた仮の言葉で終わることがほとんどだ。

体験からの理解

一方、体験を通じた学びは、言語のみの理解を身体的に落とし込むことにつながることがある。それによって、理解だけでなく、価値観や行動にも変化が起きることも多い。
週末のプログラムの最後の感想やアンケートにはこんなコメントがあった。

「田んぼが命にあふれていて、人間のための食品工場ではなく、自然のエコシステムの一部として機能しているのだと改めて感じることができた」
「自分が取り込むものがどう健康に関係するのか、より深く理解できた」
「たんぼにはお米だけじゃなくて、ヒルとかカエルとかのすみかにもなっているんだなあと思った」
「Learnt the importance of sustainability, and how nature conditions are able to affect agriculture despite all the technological advancements!(サステナビリティの重要性がわかった。技術がいくら進歩したと言っても、やはり自然の状況が農業に影響を与えることも知った)」

こうした気づきから、生物多様性やサステナビリティについて、具体的に考えていくことができるだろう。もしこれらの体験をした上で、生物多様性についての講義があれば、「あの時のあれが、生態系サービスということか」と文字だけよりも腑に落ちるはずだ。そして生物多様性によって人の暮らしや社会が成り立っていることの理解にもつながっていくだろう。科学的、論理的にだけでなく、身体知として。

気づきを共有する価値

どんな体験でも、その人自身の力によって、学びにつなげることはもちろんできる。でもそれが教育的なデザインの中に位置付けられている時は、その効果がより期待できる。例えば、参加した人たち同士の意見交換も、自分の学びを深めたり、新しい気づきを得たりなどの大切な場となる。正式に場が設けられることで、自分の考えの変容につながるような深いディスカッションになる可能性も出てくる。

例えば、「田の草取り」プログラムを終えた学生の一人は、「東京の暮らしと環境が違いすぎて、ここで気づいたことを普段の暮らしに生かせると思わない」と言っていた。また「東京にはここと違って自然がないので、ここでの体験をきっかけに自然と人との関わりを考え続ける自信はない」とも話した。

このコメントを元にグループでの意見交換があった。そこでは、東京に自然がないというのは思い込みかもしれないという指摘や、この地域の少雪は今年の関東の飲料水事情に影響を与えるなどの、訪問地域と関東との具体的なつながりについての考察がされた。また、無農薬の米作りの一部に関わったことから、消費者として普段の暮らしに生かせることはあるのではないかという提起もあった。

週末実習を終えてすぐの、大学に戻った教室内での授業では、それぞれ自分の意識や行動に変化があったかと尋ねられ、上記の学生は「(自然がまったくないと思っていたけれど)道路脇の木々に自然を見つけることができるようになった」と話した。ほかにも「コンビニのおにぎりを買う時に、これがどこから来たのか考えるようになった」、「食材が有機栽培かどうか、気になるようになった」などの声があった。そうした声を聞いてまた、それぞれが自分に重ね合わせて考えていくことにつながっていく。

農山村の教育力調査

数年前、栃窪集落で実施された、4つの異なるプログラムに参加した人たち67人と、関わった集落民10人を対象に、「農山村の教育力を探る」という調査を行った。質問の中には「参加を経て、これから実践したり、変えようと思うこと」という項目があった。

8割の人たちがこれに回答し、もっとも多かったのは、「環境を考慮したライフスタイル」で、次は「食」に関することだった。例えば「自分で野菜を作る」「合成洗剤を避ける」「作り手を意識して野菜やコメを購入する」「無農薬食品を意識して選ぶ」「緑や生きものにアンテナを張る」など。

こうした行動が「便利でなくとも楽しめる暮らしの実践」だとした人もいた。「地に足をつけた生活」や「機械に頼らない」「手間をかけた料理」などと同様、価値観に触れた体験になったことも読み取れる。
「実家に足しげく帰ろうと思う。家の畑を大切にしたい」「場所の成り立ちや山の仕組み、植物育成など、自然についてのことや、先人の知恵を学びたい」など、場所や地域に言及したものもあった。

「やろうと思う」ことと、実際に行うかどうかは別であるが、こうしたコメントから、わずか1泊2日であっても農山村での体験によって、持続可能な社会づくりにつながる意識づけがされたと言えるだろう。重要なのは、これが頭での理解ではなく、具体的なライフスタイルの変化や行動を伴う可能性を持っているということだ。

行動を持ってのみ、未来の社会は変わってくる。

生物多様性を意識した社会づくり

今、地球の自然環境はとても厳しい状況下に置かれている。工業国に暮らす私たちが今と同じ暮らしをそのまま続けることは不可能だと、様々なデータが予測している。ではどのような考え方に基づいて、これからの社会を作っていけばいいのか。

蛇口をひねれば水が出て、店に行けば必ずお金で食料が手に入ると信じている私たちだからこそ、自然に近い暮らしを体験することで、それまで思いもよらなかったことに気づくだろう。人間が暮らし、社会が続いていくために、本質的に重要なものは何かが見えてくる。

生物多様性とは何かを頭で理解するだけでなく、それをどう保持し、高めていくことができるか、日常の中で実践し、その意識を踏まえた社会づくりに生かしていける、人づくりと環境づくりが大切だと思う。

高野孝子氏 プロフィール

早稲田大学教授、(特活)エコプラス代表理事。エジンバラ大学Ph.D (School of Education)、ケンブリッジ大学M.Phil (Environment and Development)、早稲田大学政治学修士。野外・環境・持続可能性教育、社会人類学を専門とする。90年代初めから「人と自然と異文化」をテーマに、地球規模の環境・野外教育プロジェクトの企画運営に取り組む。体験からの学びを重視し、「場の教育」や「学びの場作り」を提唱している。社会貢献活動に献身する女性7名に向けた「オメガアワード2002」を緒方貞子さんや吉永小百合さんらと共に受賞。環境ドキュメンタリー映画「地球交響曲第7番」に出演。

主著に「野外で変わる子どもたち」(情報センター出版局)、「地球の笑顔に魅せられて」(海象社)、「場の教育:土地に根ざす学びの水脈」(共著、農文協)、「PBE地域に根ざした教育」(編著、海象社)などがある。

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