食と生物多様性

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香坂 玲

名古屋大学大学院 環境学研究科 教授

はじめに

和食が世界無形遺産に登録され、伝統的な食文化を保護・継承しようとする動きが活発化している日本において、いま、伝統野菜の生き残りをかけて闘っている人たちがいる。農地や生産量の拡大を図り、スケールのメリットを追いかける流れに逆らい、地域の特性を活かした昔ながらの野菜を守ろう、或いは希少性を逆手に高付加価値の産品として売り出そうとする取組みが全国で始まっている。

もともと地元で細々と生産されてきた伝統野菜は、全国的な知名度を誇る京野菜や加賀野菜などは例外的であり、大半は流通や消費が限られているのが実情だ。また、一言で伝統野菜といっても、生産開始が中世に遡るものもあれば、戦後に誕生したものもあるなど、何をもって伝統野菜とするかは各地バラバラで、定義は実に曖昧である。しかし、曖昧であるからこそ様々な取組みが可能という側面もあり、地域活性化の救世主となる可能性も秘めている。また、地域の特性を活かしながら生産され続けてきた伝統野菜は、生物多様性とも密接に関係している。筆者はそうした伝統野菜の可能性や実情を様々な観点から検討した「伝統野菜の今」(清水弘文堂書房)を2015年7月に上梓した。その中身について紹介する。

和食が世界遺産に

2013年、6月に富士山が世界文化遺産に登録されたのに続き、12月には和食が世界無形遺産に登録され、大きなニュースとなった。一方で、和食の登録を決定づけた提案理由についてはほとんど知られていないのではないか。

ユネスコに提出した申請書では、提案理由を以下のように述べている:

「和食」は、四季や地理的な多様性による「新鮮で多様な食材の使用」、「自然の美しさを表した盛りつけ」などといった特色を有しており、日本人が基礎としている「自然の尊重」という精神にのっとり、正月や田植え、収穫祭のような年中行事と密接に関係し、家族や地域コミュニティのメンバーとの結びつきを強めるという社会的慣習である

このように、単に料理そのもの、或いは盛り付けや飾り付けの技とか健康面での効用というよりも、四季や自然との関係、正月といった文化やコミュニティの行事のなかでの位置づけを強調している。従って、それぞれの地域の風土や景観のなかで、人の営みやコミュニティが自然と織りなしてきた文化としての価値を認められての登録であった。実はこの登録理由は、生物多様性がなぜ大切なのかという議論にも関係する。生物多様性も、単に多様な生き物がいればいいというものではなく、地域の風土で培われてきた生き物と、人の営みとのインターアクションが重要となる。

世界遺産登録の提案書には、和食を誰が守っていくのかという点についても触れているが、「草の根グループや学校の教員、料理のインストラクターも、フォーマル及びノンフォーマルな教育や実践を通じ、知識及び技術の伝承を担っている」と、フォーマル、インフォーマルという両方を含める形を取り、戦略的か無自覚か、曖昧にしている。しかし、フォーマルな登録がなされ、守っていく義務が課されたことで、逆説的に、どの時期、どの地域、どの範囲のものを守り、維持していくのかといった議論が今後は欠かせなくなっている。

 

世界遺産に限らず、地域ブランドの登録商標、地理的な産地証明といった制度の側は、「曖昧さ」「いい加減さ」といったゆらぎをなるべく少なくすべきと考えている。例えば、産地証明であれば、はっきりと地理的に区分したエリアのなかで生産されているものを登録し、追跡ができるようにしたい。ところが、実際には、エリアを曖昧にすることで参加できる生産者を多く確保しようとするケースもあれば、行政や農業団体が設定した区分ではエリアが実情より広すぎるとか途中で切れてしまうケースもままある。また、2015年6月に日本でも導入された「地理的表示の保護」の制度では、地理的な区分に加えて、品質、製造方法、祭事など使われる場面などの特定にも踏み込んで登録が行われる可能性が議論されている。なるべく客観的に測れる成分で登録の線引きをしたいのが制度側の論理となるだろうが、伝統野菜などではエリアから、製造方法、味や品質まで、客観的に線引きできるのかどうか疑問があり、伝統野菜の成り立ち、実情から必然的に生じるゆらぎに対して、制度の側も歩み寄る必要がありそうだ。

伝統野菜のこれから

ユネスコの世界遺産の他に、国際連合食糧農業機関(FAO)が環境や生物多様性を損なわない伝統的農業や農村文化の保全を目的として創設した世界農業遺産という制度があるが、2011年に「能登の里山里海」が登録された際、登録された後にこそ、派手でなくても遺産としてしっかりと残す覚悟と手立てが必要であるとの声が数多く聞かれた。メディアも含め「登録」をゴールにしがちであるが、登録後の日常、営みこそが遺産となっていくことを忘れてはならないだろう。

能登の千枚田

伝統

伝統野菜 やわらか源助大根(加賀野菜)

なぜ、今、伝統野菜に注目が集まるのか。農作物の大量生産ないしグローバル化への反発や不安なども根底にありそうだ。かつては高付加価値の特別だった商品がありふれた日用品へと変化してしまうことを「コモディティ化」と呼ぶが、大量生産の「コモディティ化」した野菜に飽き足らず、個性とかストーリーがあることを期待される伝統野菜。2013年に和食の世界無形文化遺産登録とも相まって、何か誇りを与え、感情的に訴えるものとして脚光を浴びている側面もありそうだ。

生物多様性の議論では、伝統野菜を含めた農作物の多様性を遺伝資源として扱い、商品としての農作物とは別の意味で、世界的に熱い視線が注がれている。遺伝資源の利益の配分を巡っては国家間で激しい論争が展開されているが、その一方で世界中から集めた種子を次々と北極圏の貯蔵庫に持ち込み、何か植物の疫病や気候の変化が起きた場合の備えの遺伝資源として保管する、「ノアの方舟」とも称せられるプロジェクトも進行している。

また、このままでは大量生産の波にのまれて消えてしまうかもしれない地域固有の在来品種や伝統的な加工食品を「味の箱舟」として認定し、地域の食の多様性を守るプロジェクトが国際的に展開実施されており、日本でも2014年現在、32品目が認定されている。グローバリゼーションや標準化に対抗する運動の一環であるが、やはり生物多様性の保全にもつながるプロジェクトとされている。

帰るべき場ではなく、自らを問う場としての伝統野菜へ

実際に伝統野菜を販売している場では、「何かスト―リーがあるはず」という期待とノスタルジアを満たすために、逆に伝統野菜というフレームを生み出している側面も窺える。勿論、地元の伝統野菜をつないでいくことを、何か利益や権限を得るためではなく、責任として捉え、細々とでも何とかつないでいる事例も多くあるが、伝統野菜という物語性ある作物を探し、或いは創造して販売している商業的な色彩の強い事例も相次いでいる。いずれ、「どの伝統野菜が本物か」という論争や小競り合いが本格化することさえも予測される。

伝統野菜 加賀太きゅうり

しかし、問うべきは、どの伝統野菜が本物で、どの伝統野菜が虚構なのかということではない。むしろ、なぜ、そこまで日本の消費者がストーリーを求めているのかという点だ。伝統という響きは、忙しなく駆け上がってきた「今、ここで」という喧噪から離れようとする、「いつか、どこかで」という憧れをもたらしているのかもしれない。そこで地域性やストーリー性を感じさせる伝統野菜に多くの人々の期待が高まり、伝統野菜の人気を後押しした面もあろう。ところが、伝統野菜の現場は、消費者がその語感から当初期待するほど牧歌性は帯びていない現実もあり、いまや、自家消費のため、後世のために続けていく従来の路線に加え、都市部での富裕層への販売を目指す路線も可能となっている。極端なことをいえば、自由貿易を通じてグローバル化の路線でさえも可能となるだろう。

仙台伝統野菜

しかし、伝統野菜を通して問うべきは、それが本物であるかどうかでもないように、その消費がどうあるべきかでもない。なぜ伝統野菜が自分にとって大切なのか、どのような農業、どのような社会を形作っていきたいのか、自らを問うことができるかどうかである。いま、伝統野菜に帰る場を求める力が、消費だけではなく、自らの価値を問うものへと脱皮ができるのかの分岐点でもある。

香坂 玲 (こうさか りょう)氏 プロフィール

名古屋大学大学院 環境学研究科 教授

東京大学農学部卒業。ハンガリーの中東欧地域環境センター勤務後、英国で修士、ドイツ・フライブルグ大学の環境森林学部で博士号取得。
2006年からカナダ・モントリオールの国連環境計画生物多様性条約事務局での勤務を経て、2008-2010年度までCOP10支援実行委員会アドバイザーを歴任。
2010年は、イオン環境財団が支援し、50カ国以上の若者が集った国際ユース会議などにも参画した。

近著に、「伝統野菜の今」(清水弘文堂書房 アサヒエコブックス)「生物多様性と私たち」(岩波ジュニア新書:国際ユース会議も報告)、「地域再生 逆境から生まれる新たな試み」(岩波ブックレット)、「農林漁業の産地ブランド戦略」(ぎょうせい)など

これまで生物多様性及び生態系サービスに関する政府間科学-政策プラットフォーム(Intergovernmental Science-Policy Platform on Biodiversity and Ecosystem Services:IPBES) のアジア太平洋地域の報告書の調整役代表執筆者 (CLA) 、外部評価パネル委員、また政府代表団の一員として貢献している。野生種の持続可能な利用のレビューエディターと政策カタログの専門家も務める。また、生物模倣技術のISOの会議(TC266, WG4)にもコンビーナーとして参画している(1期2018-2020,  2期2021-2023)。Future Earth関連の国際連携にも積極的に参画し、2020年10月からは、連携会員(環境学)として日本学術会議にも貢献している。