母なる大地、パチャママ

ビビアナ・ヴィラ

ビクーニャ/ラクダと環境 学際研究プロジェクト(VICAM)代表
アルゼンチン学術研究会議(CONICET) 主席研究員
2014年 The MIDORI Prize for Biodiversity 受賞者

8月1日はパチャママの日とされ、一か月の間、アンデスの人々は母なる大地に祝福を求める。冬の終わりの8月は、アルチプラノ高原における最大の苦難の月であり、風の強い乾いた風土と凍えるような寒さのため、生活条件は最も困難なものとなる。8月は、「母なる大地パチャママに食物を捧げる」時であり、農耕と牧畜における新たな年の始まりである。

アルチプラノは中央アンデス高地の半砂漠高原地帯で、標高は海抜3,500メートルを超える。乾燥した寒冷な気候と乾いた土地に順応した植生が特徴である。アルチプラノ本来の動物相には、野生種の南米産ラクダ科動物が含まれる。すなわち、ビクーニャ(Vicugna vicugna)、そしてグアナコ(Lama guanicoe)とその家畜種であるアルパカ(Lama pacos)およびリャマ(Lama glama)である。アルチプラノには、ケチュア語やアイマラ語を話す先住民の人々が暮らしている。彼らは、インカ帝国の住民の子孫である。これらの村落の多くは、伝統的にラクダ科の家畜種(リャマおよびアルパカ)のほかヒツジやヤギの牧畜を行っている。標高の低い渓谷地帯とアルチプラノのごく一部では、ジャガイモ、キヌア、トウモロコシの栽培が発達している。

パチャママ © Calos Julio Sanchez Suau

「大地は私たちに属するものではなく、私たちが大地に属するのだ。なぜなら、私たちは大地の息子であり、娘であるからだ。大地を所有するのは誰か?パチャママは私たちの母であり、私たちはここを我が家として、人間として、動物として、植物として生きるのだ。」

この言葉は、 アルゼンチン・アンデスに住む地元小学校の教師、ルネ・マチャカのものだ。これを選んだのは、パチャママという概念の多次元性とカタログ化の難しさを反映しているからだ。パチャママは神であるが(母なる女神であり、生命の与え手である)、同時に大地でもある。私たちが種を播き、上を歩く、実際の地面である。神としての彼女は強大な力を持つが、物理的、現実的、物質的な意味では、養い、世話をしなければならない存在でもある。このテーマに対するもうひとつの見方は、パチャママが与える生命のあり方は多様であり、人間は存在しうる様々な表現のひとつに過ぎず、それゆえに動物や植物となんら変わりのない存在なのだというものだ。教師であるルネ・マチャカ は、パチャママを神格化された大地であり神秘的な母性的存在として日常的な言葉で説明することにより、パチャママという概念の複雑性を私たちに紹介している。

スペイン人がアメリカ大陸に到達する前のプレヒスパニック文明において、大地は様々な形で崇拝されていた。このことは、古代遺跡にはっきりと見て取れる。インカ帝国は、太陽(インティ)と大地であるパチャママを崇拝していた。パチャママという言葉は、ケチュア語とアイマラ語を話す先住民グループの両方で使われていたことが、スペイン人のコンキスタドール(征服者たち)によって16世紀にすでに記録されている。「パチャ」は大地(世界、風景、土地、土壌、時間)を表し、「ママ」は母(魂、本質)を表す。スペイン人は地域にカトリシズムを強要し、異端とみなされた現地の信仰を暴力的に抑圧するとともに、土着の宗教的シンボルを徹底的に破壊したが、パチャママ信仰はキリスト教の聖母マリアとの習合によって生き延びた。現在、パチャママは主にその豊穣性によって崇拝されているが、それだけでなく、彼女自体が固有の美徳、外観、存在、特徴、力を持った女神としても崇められている。

パチャママは、地中または山の中に住む小柄な老女として表現される。きわめて細いビクーニャ(Vicugna vicugna)の繊維で織られたアンデスの伝統衣装をまとい、さらに、いつも紡錘でビクーニャの毛を紡いでいる。近頃では、人生の最盛期にある若く闊達な女性として描かれるパチャママの姿が一般的になっている。先住民の信仰によれば、パチャママは私たちの母であるが、人間だけの母ではなく、山々、双子の存在であると考えられている太陽と月、家畜、農作物の母でもある。

大地の神聖性を前提とすると、天然の資源を採取する時は必ず、パチャ(Pacha)の許しを求め、供物を捧げなければならない。たとえば陶器職人は、粘土をその採取源から持ち去る時に必ずそうする。種をまくために土地を耕す際は、パチャママへの供物として女性をかたどった小さな魔除けを埋める。パチャママの守護力は、機織り、糸紡ぎ、作陶といった多くの伝統的な作業に及ぶ。

パチャママを礼拝する場所は、独特の自然な岩の配置、山々、「アパチェタ」すなわち石塚を作るために人々が積み上げた特別な岩や石で構成されている。高地の雪山、最高峰、火山は、神聖なものとされる。なぜなら、アンデスの伝統宗教では、人間はもともと大地としてのパチャママから出現したとされているからである。大地はパチャママの居る場所でもあるため、ここにパチャママの「大地」であり「神」であるという二元性が如実に示されている。これらの聖域は通常高い山々にあり、山々を旅することで自然の神聖性もまた高まってゆく。洞窟などの山中の場所は崇拝の対象となっており、また、山から生まれる湧水や川も同様である。

石塚は道沿いにあるため、そこを歩く人はパチャママに呼びかけ、さらに石を積み上げて疲労を和らげることができる。人々はまた、争いごとの解決、健康、あるいは呪いの解除を願うためにもアパチェタを訪れる。パチャママとして知られる特別な石塚は、家畜の囲いのそばにあり、リャマを表す白い石で作られている。新たな石を積み上げることが、家畜が増えることを祈る呪術的な願掛けになっているのである。

ボリビア製のパチャママ像(ヴィラ博士 個人蔵)

サンタ・カタリナのアパチェタ 遠景にビクーニャの群れ

パチャママへの供物には、イリャと呼ばれる魔除けやお守りがあり、自然のもの(岩、鉱物、胃石)もあれば、人の手で作ったものもある。ほとんどの場合、特にパチャママの日である8月1日に行われる儀式においては、地面またはテーブルの上に敷いた布の上に供物を置く。リャマの形に石を彫ったもの、または金属を鋳造したお守りとともに、食べ物と飲み物を聖なる岩のそばの小さな穴に埋めるのが通例である。

イリャ(ヴィラ博士 個人蔵)

コカの葉(Erythroxylon coca)は、聖なる植物とされ、アンデスの宗教において最もよく見られる供物のひとつである。コア(Lepidophyllum sp)は、儀式において煙を作り出すために使われる、樹脂を含んだ芳香植物である。「ウィラ」と呼ばれるリャマの心臓付近の脂肪も煙を作るために使われ、乾燥させたリャマの胎児「スリュ(sullu)」とともに、強力な魔力を持った物と見なされている。そのほかの供物には、赤く染めたリャマの毛糸、トウモロコシ、食べ物、タバコ、花、そして、発酵したトウモロコシから作ったチチャ、ビール、ワインなどのアルコール飲料がある。ほとんどの供物は、地面に掘った儀礼用の穴の中に置く。家畜に関連する一部の供物は、囲いの中、牧草地、水場に埋める。多くの場合、「パチャママ、聖なる大地、私たちのリャマのために牧草を与えてくださるよう、あなたとその実り多く惜しみない子宮にお願いします」と唱えながら、これらの供物を捧げる。村落規模の特別な儀式では、リャマをパチャママへの生贄とし、リャマの血を大地に捧げる。リャマの肉は、集団的儀礼の際に儀礼食の一部として食べる。パチャママ信仰は人々の住居にも見られ、パチャママによる守護を表す聖なる石(通常は赤い毛糸の輪で囲った石英)が置かれている。

聖なる石

豊穣の女神であり栽培植物および野生植物の与え手であるという立場から、パチャママは、アンデス地方の農業に関連するありとあらゆる活動をつかさどっている。種まきや植え付けの際は、必ずパチャママに祈願する。村の老女がパチャママを演じる役割を引き受ける場合もある。家畜の生産力は、人々と土地の生産力に直接関連する。そのため、若く美しい雄と雌のリャマを夫と妻として選び、2頭の婚礼を執り行う。リャマのキャラバンが出発する前には、疲労と病気を防ぐため、コアの煙とチカでリャマを祝福する。また、この儀礼では、通り道の山々の主であるパチャママにキャラバンの無事を祈る。キャラバンについていった家族は、最初に出会ったアパチェタでパチャママに白い石を捧げた後、家に戻る。また、水と灌漑に関する儀式でもパチャママに祈願を行う。なぜなら、彼女は山々の母であり、それゆえに湧水の源だからである。

アパチェタで休息をとるリャマのキャラバン

パチャママは女神であり、同じように神性を備えた夫は、創造者たる偉大な天の神と見なされている。この神は、パチャカマック、ビラコチャなど、地域によって様々な名前で呼ばれる。しかし、私が働いてきたアルゼンチン北西部のほとんどの場所で、名前がついているのはパチャママのみである。

パチャママの下には、特定の任務において彼女を補佐する、あるいは特定の地形の主を務める多くの下位の神々がいる。たとえば、アプスまたはアチャチラは、個々の山や重要な山の精霊であり、ポンチョを着た老人の姿をしている。コケーナは、ビクーニャの守護神である。彼は、ビクーニャを世話し、管理し、彼らを殺す者を罰する。コケーナは、ビクーニャのポンチョと衣服をまとった小人として描かれる。

パチャママは、多くの場合優しく融和的な神だが、地元の人々が言うには、怒りや不満を抱くこともあり、そのような感情を地震、地揺れ、地滑りによって表すこともある。土地を乱用し、動物に苦痛を与え、植物の世話を怠ると、パチャママは腹を立て、彼女の世話を怠った者に襲い掛かって罰することもある。 現在西洋では、母なる大地の悲しみを強力に表わす事象が起きており、現在の環境下で私たちが経験している自然災害は、人間がパチャママにもたらした苦痛に対する報復と解釈することができる。

パチャママをなだめ、それによって彼女の愛と祝福を再び受ける方法は、本当にただひとつしかない。それは、大地に対する私たちの態度を変えることだ。私たちは所有者ではなく、パチャママの手の内にある一つの要素にすぎず、彼女や自然界と一体なのだと理解することである。

参考文献

Aranguren Paz, A. 1975. Las creencias y ritos mágicos religiosos de los pastores puneños. Allpanchis 8-Cusco.

Cipolletti M.S. 1984. Llamas y mulas, treque y venta: el testimonio de un arriero puneño. Revista Andina, 2, 513-538.

Mariscotti de Gorlitz, A.M. 1978. Pachamama, Santa Tierra: Contribución al estudio de la religión autóctona en los Andes centro-meridionales. Indiana. Beiheft Supplement. Ibero-amerikanisches Institut. Mann Verlag. Berlin. Germany.

ビビアナ・ヴィラ氏 プロフィール

ビビアナ・ヴィラ博士は、アルゼンチン学術研究会議(CONICET)主席研究員、またビクーニャ/ラクダと環境 学際研究プロジェクト(VICAM)のリーダーを務める人物である。博士はアルゼンチン北西部アンデス山脈アルチプラノ高原において、実践的かつ象徴的な生物多様性保全プロジェクトを30年以上にわたって実施してきた。ヴィラ博士は非常に優秀な研究者であり、野生生物の保護活動家としても傑出した人物である。

南米においてビクーニャは、生態学的にも、経済学的にも、社会文化的にも非常に重要な野生種である。しかしビクーニャ毛が大切にされてきた一方で、大量捕殺が数世紀にわたって行われてきた。ヴィラ博士が主導する研究グループVICAMは、ビクーニャの保全と持続可能な利用を目的としてアンデス地域のコミュニティと協力し、スペイン人による征服以前から伝わる古代の野生生物捕獲技術「チャク」の復活に非常に重要な役割を果たしてきた。彼らが、野生ビクーニャの捕獲、毛の刈込、リリースといった一連のアプローチを開発したことで、経済的に困窮した先住民族のコミュニティに収入がもたらされた。この収入は、生物多様性だけでなく、種の保全や生態系の保全にも重要なインセンティブを与えている。VICAMは、生物科学、社会科学などの様々な経歴を持つ12名のメンバーによって構成された研究グループであり、保全の様々な様相に尽力してきた。科学に根差した環境管理と先住民族の知識をブレンドした VICAMの保全ビジョンは、科学データに基づき生態学的な持続可能性を推進すると同時に、地域の見識や実践に敬意を示すものである。このプロジェクトは現代的な野生生物保全のモデルであり、同様の分野で活動する人々にもインスピレーションを与えうるものである。

ヴィラ博士は、 優れた研究者でもあり、影響力の大きな学術誌に定期的に業績を発表している。またヴィラ博士は、遠隔地にあり、時に極度な寒冷地や乾燥地、強風にさらされる場所など、劣悪な環境下にある山岳コミュニティと効果的な協働を行ってきた。CONICETの主席研究員として、野生のビクーニャ、アンデスの環境の持続可能性に関する研究を行っているほか、教諭、メンターとしても優れた人物で、ルハン国立大学の非常勤教授として、「農村部における環境教育」を教授している。アルゼンチン科学省においては生物多様性と持続可能性に関する諮問委員会の科学コーディネーターを、アルゼンチン山岳地域開発委員会(FAOとのパートナーシップで実施)にCONICETの代表として参加する他、ラテンアメリカ動物行動学会の副会長を務めている。第3世界女性研究者組織(OWSD)では、フォーカル・ポイントの役割を担っている。