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生物多様性コラム

自然共生社会とSATOYAMAイニシアティブ

武内和彦
国際連合大学上級副学長、東京大学教授

 自然共生社会とは、生物多様性や生態系サービスの恩恵を受けつつ、人間と自然が共生できる社会のことである。この言葉は、2007年に閣議決定された「21世紀環境立国戦略」で、低炭素社会循環型社会と並ぶ社会像として初めて定義され、戦略では、それら3社会像の統合により持続可能な社会を目指すべきと唱われた。我が国が、自然共生社会を含む持続可能な社会を目指すことは、現在、環境政策の骨格を示す環境基本計画や、生物多様性国家戦略に明記されている。

 

 おりしも、2010年の名古屋での生物多様性条約第10回締約国会議(COP10)の開催が身近に迫っていたことから、21世紀環境立国戦略では、我が国が世界に向けて発信すべきものとして、SATOYAMAイニシアティブが提唱されたのである。それは、日本の里地里山に見られるような伝統的な人びとの智慧と、近代的な知識や新しい資源管理の仕組みづくりをうまく組み合わせることによって、世界の人びととともに自然共生社会を実現していこうとする取り組みである。

 

 COP10では、遺伝資源の公平なアクセスと利益配分を目指す名古屋議定書とともに、生物多様性と生態系の劣化を食い止めるために2020年までに達成すべき20の短期的目標を定めた愛知目標が採択され、大きな成果を収めた。また、2050年までの長期的な達成目標として「自然と共生する世界の実現」が掲げられ、自然共生社会の実現は国際社会の目標となった。同時に、SATOYAMAイニシアティブも、生物資源の持続的利用に関する有効なアプローチと認定された。

 

 もっとも、SATOYAMAイニシアティブが、国際社会ですんなりと受け入れられた訳ではなかった。とくに、日本語起源であるSATOYAMAという言葉を、世界共通の概念とすることには一部で抵抗もあった。そこで、イニシアティブの名前にはSATOYAMAを残しつつも、世界共通の概念として「社会生態学的生産ランドスケープ(SEPLs)」が提唱され、多くの支持が得られるようになった。このSEPLsは、ミレニアム生態系評価に準じた日本の里山・里海評価で初めて提唱されたものである。

 

図1 COP10の際のIPSI発足式

 COP10では、SATOYAMAイニシアティブは、自国での農林水産物の地産地消の促進につながり、自由な農林水産物の輸出入を推奨するGATTウルグアイラウンドの精神に反するといった農林水産物の大量輸出国からの批判もあった。しかし、アジアのみならずアフリカの国々から、SATOYAMAイニシアティブへの強い支持が表明され、最終的にその有用性を認めることが決議に含められた。また、このときSATOYAMAイニシアティブ国際パートナーシップ(IPSI)が正式に発足した。

 

 IPSIは、日本の環境省と国連大学サステイナビリティ高等研究所が中心となって運営されている。COP10での発足時に51のメンバーから出発したIPSIは、2014年10月に韓国の平昌でCOP12に併せて開催された第5回定例会合(IPSI-5)時点では164のメンバーへと拡大した。メンバーには、国際機関、国の機関、地方自治体、大学、企業、NGO等さまざまな組織が参加しており、相互の情報共有や意見交換を行うとともに、テーマごとにメンバー間の協力活動が進められている。

 

 自然共生社会実現に向けたSATOYAMAイニシアティブの重要なアプローチとして、筆者は三点を指摘してきた。その第一は、伝統的な知識や生態系機能を活かした地域社会のレジリエンス強化を考えることである。近代的な農林水産業は、生産性は高いものの、変動に対する脆弱性が問題となっている。気候変動などの長期的な、極端気象などの短期的な変動に対する社会・生態的レジリエンスの強化を図ることが重要であり、IPSIではレジリエンス指標を共同で開発している。

 

 第二は、新たなコモンズの創造である。里地里山のような伝統的な社会生態学的生産ランドスケープは、共有地、水利など資源の共同管理の仕組みによって維持されてきた。しかし、近代化の過程で、そうしたコモンズの仕組みが大きく損なわれた。これに対し、地方自治体、企業、NPO、都市住民などを含む多様なステークホルダーの参加を得て、現代社会にふさわしい新たな資源管理のガバナンスを構築しようというのが、新しいコモンズの創造に向けた取り組みである。

 

 第三は、自然資本を活かした新しいビジネスモデルの構築である。大量生産型の農林水産業生産は効率的ではあるが、自然資本を損ない環境破壊をもたらすために、自然共生社会の実現とは矛盾する。自然共生社会実現のためには、自然資本を活かした高付加価値型の農林水産業の振興が求められる。さらには、再生可能エネルギー利用やエコツーリズムと組み合わせることによって、衰退しつつある地域の再創造につながるような社会システムイノベーションが必要である。

図2 集落は高台に移転し、地盤沈下した低地で自然再生

 

 ところで、東日本大震災は、日本の自然は、ときには自然災害として私たちの生活や生命を脅かす大きな脅威となることを再認識させた。震災後に策定された「生物多様性国家戦略2012-2020」では、自然は豊かな恵みでもある一方で、時には大きな脅威となるとの認識のもと、自然のもつ力を十分理解しながら、安全・安心な社会づくりや、里地里山・里海にみられる伝統的な農林水産業の再評価を通じて、人と自然の豊かな関係の再構築を進めるべきであると提言している。

 

 

 

 2013年5月に創設された「三陸復興国立公園」の構想と、その具体化を目指す「グリーン復興プロジェクト」には、そうした考え方が随所に織り込まれている。里山・里海フィールドミュージアムや、総延長約700kmに及ぶ「みちのく潮風トレイル」では、人と自然の豊かな関係を体験することができる。また沿岸部では、湿地や海岸林の自然再生など生態系機能を活かした地域のレジリエンス強化策を通じて防災・減災効果を高める取り組みも始まっている。

 

 このような生態系機能を活かした防災・減災のあり方については、2015年3月に仙台で開催される国連防災世界会議で議論されることになっている。私も、2013年11月に仙台で開催されたアジア国立公園会議や、2014年11月にオーストラリアのシドニーで開催された世界国立公園会議の成果を踏まえて、自然災害を柔軟に受け止めることが可能な自然共生社会づくりについて提言したいと考えている。それは、気候変動への適応策としても有効なものとなりうるであろう。

 

 地域社会のレジリエンス強化、新たなコモンズの創造、新しい自然資本ビジネスモデルの展開を通じた自然共生社会実現に向けた取り組みは、IPSIの協力活動を始め、世界各地で取り組まれている。とりわけ、人口増加やそれに伴うさまざまな環境の劣化に苦しむ開発途上国では、人間活動と自然環境の調和した自然共生社会づくりは、持続可能な開発を達成するための最も重要なテーマである。それが実現可能かどうかは、世界全体の持続可能性を大きく左右するであろう。

 

図3 マングローブ林を残した伝統的漁法

 私たちが、最近まで調査を行ったベトナム北部紅河の河口域では、マングローブ林を部分伐採し、その生態機能を活かした伝統的漁業が、マングローブ林を皆伐したエビの養殖場よりも、はるかに持続的で経済的にも優れていることが明らかにされた。また塩性化の進行により近代的な稲の成長が悪いところでは、在来品種のモチ米やイグサの栽培がより適していることが分かった。このように、伝統的な漁法、農法の活用は地域のレジリエンス強化につながるのである。

 

 

 

図4 シェアバターの生産工程

 また、現在調査を行っている北部ガーナの半乾燥地域では、気候変動に伴う干ばつの激化や、洪水の激甚化により、地域住民の農業や生計への負の影響が深刻化している。ここでは、そうした変化を柔軟に受け止めるための農産物の品種の多様化や、生産物に付加価値を付けるための加工・流通の高度化の検討を行っている。また、この地域の女性の収入源として欠かせないシェアの木が、環境変化に強いことから、その加工・流通の改善方策も検討している。

 

 ところで、本プロジェクトのアドバイザーであるガーナ生物多様性委員会議長のアルフレッド・オテング=イエボア教授が2014年のThe MIDORI Prize for Biodiversityを受賞するとの知らせが届き、9月にアクラで開催された会議のレセプションでささやかにお祝いした。彼は、IPSIの運営委員会議長であり、平昌で開催されたCOP12でも、我が国の関係者が集まりお祝いの夕食会を催した。自然共生社会とそれを推進するIPSIが世界に広がっていることの一つの証である。

 

 

 武内和彦(たけうち かずひこ)氏  プロフィール

 

1974年東京大学理学部地理学科卒業、1976年同大学院農学系研究科修士課程修了。東京都立大学助手、東京大学農学部助教授、同アジア生物資源環境研究センター教授を経て、1997年より2012年まで同大学院農学生命科学研究科教授。2012年より同高等研究所サステイナビリティ学連携研究機構(IR3S)機構長・教授。2008年より国際連合大学(UNU)副学長、2013年1月より同上級副学長、国際連合事務次長補を併任。日本学術会議会員、食料・農業・農村政策審議会会長代理、国際学術誌 Sustainability Science (Springer) 編集委員長、なども務める。

 

専門は、緑地環境学、地域生態学、サステイナビリティ学。人と自然の望ましい関係の再構築を目指して、アジア・アフリカを主対象に研究教育活動を展開している。最近では、持続型社会の構築を目指す俯瞰的な科学としての地球持続学(サステイナビリティ学)の世界的な拠点形成に向けて奔走している。また、日本の里地里山の再生を目指すとともに、伝統的な土地利用の再構築に向けた世界の多様な取り組みとの連携を目指すSATOYAMAイニシアティブにも深く関与している。

 

最近の著作には、「地球持続学のすすめ」(岩波ジュニア新書、2007年)、「生態系と自然共生社会」(共編著、東京大学出版会、2010年)、「Satoyama Satoumi Ecosystem and Human Well-Being」(共編著、UNU Press、2013年)、「世界農業遺産 -注目される日本の里地里山」(祥伝社新書、2013年)、「日本の自然環境政策-自然共生社会をつくる」(共編著、東京大学出版会)などがある。

 

 

* 本コラムの中に記載されている以下の用語は、環境省のホームページにリンクしています。

21世紀環境立国戦略、環境基本計画、生物多様性国家戦略、SATOYAMAイニシアティブ、愛知目標、生物多様性国家戦略2012-2020、三陸復興国立公園、グリーン復興プロジェクト、里山・里海フィールドミュージアム、みちのく潮風トレイル

 

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